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マイコプラズマ肺炎で入院したときのこと

日本のニュースでマイコプラズマ肺炎の感染者数が増え続けていると知った。
8年ぶりの大流行で、インフルエンザの感染が広がる季節を前にさらなる警戒が必要とのこと。
新型コロナの感染状況もまだまだ予断を許さず、気を抜けない冬になりそうだ。

そのマイコプラズマ肺炎にかかったことがある。大学を卒業した年、四半世紀も前…と書いてよく考えたらもうすぐ35年になるのだった。こわ。

ということで、原因となるマイコプラズマ(微生物)自体も治療法も現在では変わっていると思われます。ただの昔話としてお読みください。


まだ敬老の日が9月15日とされていた時代、その年は日曜日にあたり、振替休日と併せて3連休となっていた。ということで当時住んでいた東京の祖父母宅から北関東の実家に帰ることにした。

週半ばからだるさなど軽い不調を感じていたのが、週末から咳が出はじめ、前後して発熱。これはおかしいと月曜日に受診した。

いくつかの診療科のある近くのわりと大きな病院は、休日だというのに待合室は混み合い、かなり長い時間待ったと記憶している。
アルバイトの研修医らしき担当医の診断は「風邪」。咳止めと解熱剤をもらって帰宅した。

解熱剤により熱は一時的に下がるものの、どうも落ち着いてくる感じはしない。咳はますます激しくなり、体力を奪われた。火曜日には起き上がるのもつらい状態になってしまい、再受診。

連休のあとの病院は前日よりもさらに混んでいる。待合室のベンチの空きをやっと見つけたが、真っ直ぐ座っているのさえつらく感じる倦怠感があった。
問診、そして肺の音を聞かれたあと、すぐにレントゲン室へ通された。
「あぁ、これはつらかったですね」と言われ、ストレッチャーにのせられてエレベーターで病棟階へ。そのまま入院となる。「肺炎」という診断だった。

それまで倦怠感でどよーんとしていたのが、「肺炎です」と言われ、「入院患者」になった途端、わりとシャキッとなった感覚を覚えている。
診断がつき治療が始まるという安心感、そして自分のイメージする「入院患者」のカテゴリーの中では軽症の部類だという自覚があったためと思われる。

ところが、そううまくはいかなかった。
相変わらず熱は上がったり下がったり。咳も一向に治まる気配がない。
主な治療としては抗生剤の点滴、そしてネブライザーによる薬の吸入だった。
病室が6人部屋だったこともあり、特に咳が気になった。夜中でも咳が出はじめるとなかなか止まらない。周りの人にはどれだけ迷惑だろうかとかなり気に病んだが、そればかりはどうしようもなかった。


一週間近くが経ったころ、担当医とそのチームがこんなに咳が治まらないのはおかしい、と再度検査をしてくれた。結果、わかったのが「マイコプラズマ肺炎」だった。それまでは通常の肺炎に対する薬を使っていたのだった。

記憶がはっきりしないが、おそらくその前後に少し怖い経験をした。
だいたいの場合がそうであるように、夕方にかけて特に熱が高くなる。
疲れと、いつまでこれが続くのかというストレスの中でうとうとしていると、すっと身体が軽く、楽になった感じがした。と同時に、身体がふわーっと上に持ち上がるような感覚が。
浮き上がっている自分は仰向けでいるので、ベッドの上は見えないはずだが、そこに寝ている「私」の存在というのもはっきりわかるのだった。
ぼんやりと「こわいな」と思ったが、身体は嘘のように楽になっていて、「まあこれでいいかな」という気持ちに打ち消された。

と、そこで、お見舞いにやってきた母の声が聞こえる。
「あら、どうしたの。熱が高そうね」
同時に強い倦怠感が戻り、私は再びベッドの上に戻っていた。
これは熱の中での夢だったのだろう。
それでもあの混沌と覚醒、身体の外と内それぞれに広がっていく意識の不思議な感覚を今でもはっきり覚えている。


さて、適応する薬に替えてからの回復は順調で、「ごめんね、マイコプラズマってオリンピックの年に流行るって言われているからさ。3年遅いんだよ」という主治医に「1年早いんです」などと悪態をつくぐらいになるまでに時間はかからなかった。

しかし、点滴で入れているその薬剤、かなり強い血管痛をもたらした。
(針系の話題の苦手な方、ご注意ください)
肘の内側から入れているのだが、二の腕を通って肩のあたりまで神経を引っ張られるような嫌な痛みが続く。ここにこう血管が通っているのだな、とわかるようなイメージだ。

ちょうど点滴をする午後の時間帯に、当時話題になっていたドラマ「もう誰も愛さない」の再放送があった。詳細は覚えていないが、これがまたまともな人が一人も出てこないというドロドロの愛憎劇で、痛みをこらながら見るのに合っているようなそうでないような、なんともタイトなドラマだった。

結局、入院は2週間に及んだ。
全員女性ではあるものの年齢や属性のまったく違う同室の6人は、それなりの連帯感が生まれて過ごしやすかった。当時の私はその中で一番若く、聞き役に回ることがほとんどだったが、今ならもっとがっつり参加できるかもしれない。
……いやいや、入院などしないほうがいい。(ここドイツだし)

流行りのマイコプラズマ肺炎、かなりつらいですからみなさまもどうぞお気をつけて。

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