1994年、カザルスホールで
1994年5月の夕べ、まだ結婚する前の夫と私は東京・御茶ノ水のカザルスホールにいた。
その数時間前、同僚から弦楽四重奏のコンサートチケットを2枚譲り受けたのだ。
一緒に行くはずの婚約者が急な仕事で来れなくなったという。
「もしよければ二人で行ってくれないかしら」というので、ありがたくいただいた。
梅雨のはしりだったのか、5月にしては蒸し暑い日だったように記憶している。
なにか軽く食事をしてから向かおうと思っていたものの、時間の余裕がなかった。
飲食が可能だったとはいえ、多少の居心地の悪さを感じながらロビーの隅で惣菜パンのようなものを食べていると、ホールの支配人らしき人が笑顔で小さく会釈してくれて安心した。
(これがのちに思わぬ事態に発展する)
と……入り口のあたりがざわつき始めた。
テレビカメラがいる。大きなライトを手に持った照明班も来た。
当時は携帯電話もなく、インターネットも一般に普及してはいない。
この四重奏団のことを調べるよしもなく、私たちは「もしかしたら有名な演奏家たちなのかもしれないね」などと話していたが、気づけば開演まではまだ5分以上あるというのに、ロビーには私たち以外誰もいなくなっていた。
関係者らしきダークスーツの数人が入り口ドアの付近に一列に並びはじめ、支配人らしき人もその後ろに控えている。
なんかこれはまずいかも、と、パンの残りを大急ぎで平らげたが、あたりには警備員が配置され、客席に入ることができない。
バタバタした感じがすっと静かになった。
と、ゆっくり入っていらっしゃったのは、なんと、当時の皇太子殿下と妃殿下雅子さまだった。ご成婚からまだ1年経たないころのおふたりだ。
並んでお出迎えしていた関係者と二言三言交わされると、両殿下はロビーを進み、ホール内に向かわれた。
早く私たちも席につかなくては!と、ドアを開けると、ほぼ満席。
そんななか、座席番号を探すまでもなく、前から1/3ほどの列の中央に2席だけ空席が見えた。
チケットを見て「けっこう前のほうかも」と思ってはいたが、なんと、そんなベストポジション(この場合は悪目立ちポジション)だったとは……
両殿下のお席は舞台に向かって左手のバルコニー席だった。
両殿下はちょうど席に到着され、会場にお手を振られているところだったため、私たちも図らずも大きな拍手のなかの入場となってしまった。
その場の全員が左上を見上げているうちに席についてしまいたかったが、惜しいところで辿り着けず、みなが着席したのち「すみません…すみません」と、ど真ん中の席へ向かうという、なんとも気まずいことになってしまった。
支配人!そういうことならパンを食べてる私たちに笑顔で会釈などしていないで、ちょっと言ってくれればよかったのにー、と少し恨めしく思ったが、それは両殿下の都合も私たちの事情(パン食べたい)も等しく尊重しようということだったのかもしれない。かな。
そんなドタバタで始まった(私たちだけですが)演奏会だったが、カルテットは素晴らしく、すぐにその音に引き込まれた。
身も心もリセットされて力が湧いてくるような、不思議な感じがした。
この弦楽四重奏団はスイスで結成された「カルミナ・カルテット」だった。
あとからわかったことだが、結成から数年で世界に名を轟かせた、当時の音楽界では「旬の」4人だった。
同様に「世界最高峰」といわれたカザルスホールの音響、そしてその雰囲気は、さらにカルミナ・カルテットの演奏を際立たせたに違いない。
今となっては笑い話となった失態とともに、貴重な思い出として残っている。
そんな思い出に浸りながら、「そういえばカザルスホールは……」と検索してみると、なんと「日本大学カザルスホール」と出てくる。
しかも、2010年を最後に音楽ホールとしては使われていないらしい。
なんということ...…それは悲しみに似た大きなショックだった。
故パブロ・カザルス氏の奥さまが、その名を冠することを許可したホールとして、開館当時話題になったことを覚えている。
いくら所有権が渡ったとはいえ、その名前の前に大学の名を付け足してしまうという時点で「なんだかな」な気がするが、返す返すももったいないことだと思わずにはいられない。
字幕はオランダ語のようです。演奏は1'30"あたりからです。
↓ こちらのリンクから「国連デー記念コンサート」全体の録音がお聴きいただけます。
カザルス氏が作曲を担当した「国連賛歌」(初演)から始まり、上の映像では切れているカザルス氏の演奏の最後の部分まで入っています。
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