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記憶に残るストライキ2つ

昨日のストライキは本日も引き続き行われているようだ。なんとか妥協点を見出してほしい。

ドイツに来て間もなくのころ、大規模なストライキがあったことを覚えている。
州の公務員によるストライキで、「賃上げを伴わない労働時間の延長」に反対するものだった。
たしかそれまでの実働38.5時間/週を40時間に引き上げるという話だったと思う。

各種役所の業務の多くがストップ、または大幅に縮小され、市民はかなりの不便を余儀なくされた。
なかでも全ての市民にダイレクトに影響があったのは「ごみ収集」だ。
ドイツの多くの自治体では、各家屋や集合住宅がそれぞれの分別コンテナを持ち、それを決められた曜日に道路際に出しておくことで収集されるシステムになっている。
なんとそれが、2ヶ月近くにわたってストップした。
いわゆる集積所がないため、山積みになったゴミが放置されるような光景は見られなかったが、各家庭では相当困ったことになった。
3月のある日、近所に一斉にコンテナが並んでいるのを見てストライキ解除を知り、わが家も慌てて道路脇に出したのを覚えている。


ドイツでもイタリアでもストライキはあるが、このあたりで本場(?)といえばフランスだろう。
いまでも語られる1995年秋から冬にかけてのゼネストのニュースはフィンランド・ヘルシンキでも大きく報道され、翌年フランスに引っ越すことが決まっていた私たちも注意して見ていた。

さて、フランスに住むようになると、ストライキは身近なものとなった。みなさん困ってそれなりに文句は言うものの「はーい、またか」といった感じもあり、それほどセンセーショナルなニュースにはならない。私たちもまた、慣れていった。

それでも2000年代のはじめに起こった学校の教職員組合のストライキには閉口した。
たしか春、復活祭のころからそれは始まった。
すべての教職員がこの組合に加盟しているわけではないということなのか、通常業務にあたる先生もいたが、当時小学生だった息子の担任の若い男性教師はある日突然来なくなった。
代講というのは特になく、他の先生や職員が自習プリントを配る、という日々が5月まで続いたように記憶している。
やっとストライキが終わった、とほっとするも、その後もクラスの受難は続いた。
なんと、担任の男性教師がそのまま育児休暇に入ったのである。それは当然の権利であるから仕方がないとしても(幸いこの期間はちゃんとした代講教員が入ってくれた)結局、学年度末となる7月初めまで男性教師は姿を見せなかった。

どこまでもシステマティックな感覚に少し呆れもしたが、そういう社会もあるのだと知るよい経験でもあった。

ところで、日本では久しくストライキのニュースを聞かない。
ふと昭和の時代の東京のお正月三が日とストライキの日の静けさを思い出した。
今やお正月でも街は賑わっているし、鉄道やバスなどのストライキがあったところで普段よりも騒がしくなるような気もするが、ちょっとどんな様子になるのか見てみたくもある。


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