教育論と企業人材。素人だからこそ、俯瞰して素朴に話す。
本日は学校教育シンポジウム「学校未来予想図~子供たちの教育はこう変わる~」の当日です。
義務教育課程の結果として、どのような人材を生み出すのか。
この目的意識なき教育論は意味をなしません。
コロナ禍で顕著に変化したのが、東京一極集中のリスクと、東京でなくても良いという事実が明らかになったことが挙げられます。優秀な人ほど地方移住に舵を切り、テレワーク環境でもパフォーマンスを発揮できるようにセルフマネジメントを実施し、能力を磨き、会社にも社会にも必要とされる人材であり続けると思います。
東京に居続ける方も多く居ます。立場もあるでしょうし、環境もあります。簡単に移住するなんてできないのも当たり前です。
とはいえ、コロナ前と環境が変わっていない人にとっても、同僚が移住するなんてことはあるでしょうし、自ずと日常のコミュニケーションのあり方や、リーダーシップの取り方、さらには求められる人材像も少しずつシフトしています。
このような短期的ではあるものの、おそらくこの傾向は強まっていくであろうフェーズの中で、今後育成すべき企業人材も、自ら必要な知識を業務内外で貪欲に吸収し、アウトプットし続けられる存在でなければならず、しなやかに変化できる人材でなければなりません。誰かに管理されたり、指示されないと能力向上できないとすれば、それ相応の結果しか生み出せないでしょうし、伸びる人とそうでない人の格差は大きく広がるでしょう。
これまでもそうだったけども、その割合がグッと変わるのが今のタイミングです。
そう考えた時に、「個別最適化」された学びの環境の意味は、効率的なインプットに他ならず、効果的なアウトプットを主体的に生み出せる人材を育てるためにはどのような教育であるべきか?これが本日の本質的なテーマなのだと思います。
この点、熊本市の事例について工藤先生からお話がされると思います。
公平性、平等、一律を前提とする教育行政において、その大前提から見直してコロナ禍で一気にオンライン教育の体制を作り上げた熊本市の事例です。
多様性の時代。
真に大切なのは、「違うことを前提とする」ということです。それぞれは全く違う人であって、同じような日本人同士でも趣味趣向、運動神経、知能、成長速度などみんな違っていて、これは身体的な特徴も含めて包摂されるものです。
違うことを前提とするのだから、教育環境が違ってもオンラインという機会を提供することは本質を外していません。むしろ、誰かが対応できないからみんな対応させないのではなく、誰かが対応できないなら、その対応できない人は別の方法で手当てをし、どんどん改革を推し進めていくことが行政に求められる姿勢なのだと思いました。
これはまさに、舵を切るリーダーシップの話に他なりません。
私は小さいながらも一つの会社の経営者であり、今年は60名弱の青年会議所の代表者です。どちらも最終的には私のリーダーシップで組織のシフトが実現するかどうかが決まってきます。人材がどう変わるかも連動します。
教育論を述べるとき、ついつい教育の現場にのみフォーカスしてしまって、社会全体での位置付けや、プロセス全体の視点を見失いがちです。だからこそ、教育現場の職員の専門的な知見に素人が意見しづらかったり、逆に現場サイドも受け入れづらかったりするのだと思います。
ただ、僕ら教育の素人はむしろそういう俯瞰した視点で積極的に語ることが、多様な時代に適合した人づくり、まちづくりを実現することに他ならないのだと思います。
本日の例会、楽しみです。