戦時中にハルビンで『ウクライナ日本語辞典』が刊行されていた![前編]
図書館で何気なく手に取った本をめくっていたら,以下のような興味深い記述を見つけた。
えっ???
この項を書かれたのは『ウクライナ語入門』(大学書林,1991)の著者,中井和夫先生。
なぜハルビンでウクライナ語゠日本語の辞書?
まず,「ウクライナ語゠日本語辞書」というものが稀有な存在である。
そして,なぜ日本でなくハルビンなのか?
日本人が多数いた
1944 年といえば,太平洋戦争末期。
当時のハルビン(ハルピンとも)は大日本帝国の傀儡国家である満洲国に属し,日本人も万単位で住んでいたらしい。
ちなみに Wikipedia「ハルビン市」によれば,1940 年の国勢調査でハルビンの人口は 60.55 万人とのこと。
市民の数人に一人が日本人だったわけだ。
ウクライナ人も多数いた
また,その頃のハルビンは白系ロシア人も万単位で住んでいたらしい。
「白系ロシア人」というのはロシア革命に反対して亡命した人々を指す(よくは知らん)。「白系」というのは,革命側の「赤」に対して反革命側ということであり,白人とか白ロシア(ベラルーシ)という意味ではない。
で,ここ重要なんだけど,「白系ロシア人」といっても実はロシア人だけでなくウクライナ人,ポーランド人,ユダヤ人などさまざまな民族が含まれている。
緑の楔
当時のハルビンにウクライナ語話者がどのくらいいたのかは資料が見つからなかった。
ただ,これを調べているとき,「緑の楔(Зелений клин)」というたいへん興味深い概念を知った。
これは,ロシアの極東,アムール川(黒龍江)の河口あたりを含む土地。南端はウラジオストク,東端はサハリンの対岸,といえばイメージが湧くだろうか。
面積は百万 km² くらい。
ハルビンとは 500 km くらいの距離だ。東京・大阪間くらいなので遠いようだけれど,広大な緑の楔からすると「最寄りの大都市」という感じなのだと思う。
この緑の楔には,19 世紀に極めて多くのウクライナ人が入植している。それゆえ,「緑のウクライナ(Зелена Україна)」とも呼ばれたという。
以上,だいたい Wikipedia「緑ウクライナ」を参考に書いた。世界史も世界地理も全然分かってない人が書いたので,おかしなところがあったら指摘してほしい。
ウクライナ人口はよく分からないが,辞書が刊行された頃,緑の楔にはどうも百万単位のウクライナ人がいたように思われる。
ウクライナ人と日本(人)のつながり
そんなわけで,太平洋戦争(1941—1945)の頃,ハルビンのあたりではウクライナ人と日本(人)の間に何かしらつながりがあったようなのだ。
(この辺りのことが知れる文献を見つけたが,まだ読んでない)
少し時代を遡ると,ロシア革命を逃れた人々がハルビンあたりに滞在し,そこから日本を経由して米国などに行く(亡命する),という流れがあった。この中にウクライナ人もけっこういたようだ。ウクライナ人コミュニティーがあってこそ,なのだろう。
どんな辞書?
この辞書は国会図書館にも所蔵がない。いったいどんな辞書なのか。
辞書に言及した論文
国立国会図書館サーチ で調べていたら,この辞書について書かれた論文が見つかった:
「『ウクライナ・日本語辞典』の半世紀」日野 貴夫,I.P. ボンダレンコ,『外国語教育 : 理論と実践』,no. 20(1994),pp. 45–62
『外国語教育 : 理論と実践』は天理大学 言語教育研究センターが発行している雑誌。ありがたいことに,この雑誌は国立国会図書館デジタルコレクションに登録されている。
公開はされていないが,同デジタルコレクションの「個人向けデジタル化資料送信サービス」を使えば閲覧できる。利用者登録 は必要だが,費用もかからず,満 18 歳以上なら誰でも登録できる。
夢のようなサービスだ。申請してから登録完了まで日数がかかるが,ぜひ。
利用者登録が完了したら,国立国会図書館デジタルコレクション にログインし,ログイン状態で
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4419767
にアクセスすると全ページが画像で見られる。
件の論文は p. 45 からで,コマ番号 24 に飛べばよい。
辞書の基本情報
書誌情報を同論文から転記すると以下のようになる。
『ウクライナ日本語辞典』
“Українсько-Ніппонський словник”
アナトリ・ヂブローワ,ワシーリ・オヂネツ共著,保田三郎編纂
Діброва А., Одинець В., Під редакцією Ясуда Сабуро
ハルビン(1944/4)
Харбин, 1944/4
書名で「日本語の」が Японський ではなく Ніппонський なのが興味深い。
奥付には印刷者・印刷所が載っているとのことだが,残念ながら論文には書かれていない。
印刷史に興味を持つ者としてはこういう情報が極めて重要なのだが。
もっとも当方は当時の彼の地における印刷についての知識がゼロなので,知ったところで「ふーん」未満でしかないのだが,のちのち何かにつながる可能性も無いではないのでね。
序文によれば収録語数は 11,000 とのこと。単語集といったレベルではない。
続きは
2000 字を超えてしまったので,この記事はいったんここで切って,続きは別の記事にしたい。
次の記事では,まず『外国語教育 : 理論と実践』の論文に従ってもう少し辞書について見ていく。
また,この辞書についての別の論文も見つけたので,そちらも紹介したい(まだほとんど読んでない)。