トマトスープを投げつけないために
テレビ番組などでも取り上げられている、現在進行形のあの事件。
化石燃料に反対する環境活動団体「JUST STOP OIL」のメンバーが、抗議の意を示すために有名絵画にトマトスープを投げつけた事件である。
この団体は今年できたばかりで、20代の若者を中心とした緩い組織であるという。
この事件の捉え方や問題点については散々議論されているので割愛するが、筆者は1つの疑問を抱いた。
もしこの方法が妥当でないなら、他にどのような手段で訴えればいいのか?
そんな中、1つの解とも言える展示を観てきたのでご紹介したい。
GEMINI Laboratory Exhibition「デバッグの情景」@ANB Tokyo
この展示の情報を収集するなかで最も興味深いと感じたのは、アートユニット“エキソニモ“による「Metaverse Petshop」である。早速展示の様子を記していく。
この作品を前にして驚いたのは、想像していた以上にナマモノ感があったことだ。
雑然と積み重ねられた檻の中で、一定の動きを繰り返しながらこちらを見つめる犬。檻の前に行きまじまじと映像を見つめると、温かさすら感じられる気がした。自分が購入しなければ画面から消えていく犬。消えたと思えば新たに生成される犬。
ペットショップで展示されている犬や猫を前にした時の「私が買ってあげなければ」という衝動に駆られるあの感覚。一方で「ここで買うからペットショップが儲かって、無理な繁殖や殺処分などの負の連鎖が続いていくんだ」という後ろめたさ。そして「でも私1人が行動を変えたところで負の連鎖を断ち切れるわけじゃないし」という諦めと開き直り。
事前にどんな作品かを知っていてもなお、実際に観てみると想像を遥かに超えて心が揺さぶられた。確実に課題を再認識するきっかけとなったし、自分にできることは何かと考えた。余談だが、筆者が現在保護猫を飼っていることも微力ながら貢献になっていると思う。身近にペットを迎えようとしている人がいたら保護猫を勧めよう。
その他の展示についてもやはり何かしらの課題について、クリエイティブで人や物を傷つけずに、かつ人の興味を引く方法で問題提起を行っていると解釈できた。
こちらは自動生成される街づくり案を承認/却下するとバーチャル上の街に反映される作品。自動生成された案はどこか不自然であり、自分の選択が反映された街が実際にどのような影響を受けるのか全貌が見えないことが、現代社会の民主主義に対する問題提起となっている。
2013年に制作された、女性の足跡を月面に残すために主人公セレナが奮闘するという設定の映像作品。未だ女性の月面着陸が実現していない現在、さらに本作の意義が増している。
バーチャル上の3D空間では二つの異なるものが同じ位置に重なったりすり抜けたりすることが可能であることに着目し、その様子を実空間に再現した作品。来場者はこのスツールに座ることができるが、スツールのように実際に他者と重なり合うことは不可能である。物理的な触れ合い以外の重なり合いを示唆する。
投稿タイトルについて
さて、ここで投稿タイトル「トマトスープを投げつけないために」に対する1つの解を示したい。
それは、アートによる問題提起である。
今回の展示を観て感じたことは、問題提起はアートでも十分可能であるし、むしろ感情に任せた直接的な主張よりもずっと1人1人の意識を動かすことになるということだ。
実際、有名絵画を汚したニュースで湧き上がってきた感情といえば、悲しみや怒り、憎しみばかりだった。筆者自身「そうだ、環境問題に目を向けよう」とか「化石燃料の開発でどんな被害が出ているんだろう」なんて思えなかったし、それらを自発的に考えた人が多かったとは思えない。
過激な活動団体には、ぜひその熱量をアートに昇華してほしい。次に有名美術館に現れる時は、アーティスト側としてお目にかかれればと思う。
終わりに
筆者が高校時代に所属していたスパルタ美術部でも、こと現代美術について「アートは問題提起だ」と口を酸っぱくして言われていたのを思い出した。学校や本で学んだことは、学んだその時よりもそれを自ら体験して実感した時にこそ身につく気がする。