庭の手入れという名の、自粛やぶり
4月29日、ゴールデンウィークが本格的に始まる日、県境を越えた。
毎日、テレビや区役所の放送で繰り返されるステイホーム、ステイ東京。
映画館が早く開いてほしいという一心で、かなりガマンをして、極力家にいた。外に出るのは、新聞を取りに行く。ごみを出しに行く。スーパーに買い物。それすらも、できるだけいっぺんで済ませるように努力。買い物も店が混んでいたら、違う店に。ご飯は家にあるもので何が作れるかを考える。
人に会えないといっても、家族と住んでいれば、日常的に家族がいるから、人と会う。
でも、一人暮らしなので、本当に人に会わない日々が続く。4階の窓から下の通りを見るのだけれど、誰もステイホームを守っている様子がない。二人連れ、家族連れも当たり前。不要不急の外出にしか見えない。毎日、ベランダで育てている薔薇を愛で、ハーブを種から育て、独り言もふえるばかり。しかし、ここはガマンしないと映画館が開かない。このまま、休業が続くと自分の職業の存続の危機。耐えにたえた。
これが一ヶ月も続くと、さすがに限界がやってくる。
従姉にそっと頼んだ。「もし、今年もタケノコ狩りに行くのなら、声をかけて欲しい」と。
そして4月29日、その日がやってきた。誰にも言わず、空いている時間を考えて、そっと電車に乗る。ホームでも電車でも、乗り換えでもソーシャルディスタンスを守り、一時間ほどかけて目的の駅に。従姉家族が車で待っていてくれた。竹林まで車で10分ほどの車中、久々に会う人、しかも親せき。うれしくて仕方ない。そうか、私は寂しかったのだ。そのとき、気づいた。
竹林に着くと、さっそくスピーカーを付けた日本共産党の車が「不要不急の用事以外は家にいましょう」と回ってきた。「ちょっと人数が多かったかしら?」と言った従姉に、「何言ってんだよ。ここはうちの庭。家族で庭の掃除に来ているんだから、何もわるくない」と旦那さん。いつもだと、タケノコ狩りだけでなく。バーベキューや流しそうめんなど、いろんな思考を凝らした会だけれど、今回はタケノコ狩りと庭掃除のみ。
従姉家族は、各々が伸びすぎた竹を切り、草を刈り、電線や屋根を壊しそうな植物を切り、担当場所をもくもくと掃除。私はといえばスコップ片手に袋をもって、竹林に分け入る。地面から飛び出しているタケノコの先を見つけると、傷をつけないように、周りから少しずつひたすら掘る。根をうまく切って、袋にいれる。またタケノコを探す。竹林にいるのは、私ひとり。ソーシャルディスタンスを取る必要も、マスクをする必要もない。このなんの制約もない空間。風が吹くと、笹がザザザザザーと音をたてながら揺れる。竹に耳をあてると、竹の中を通して、いろんな音が交錯する。遠くで子供たちが遊ぶ声がする。(これ、これが欲しかったー!)と叫びそうになる解放感。
大量のタケノコを持ちみんなの所に戻り、タケノコを下ろし、また竹林に分け入る。タケノコ取り名人みたいな気分。身体が限界をむかえるまで、ただひたすら掘り続けた。
コンビニで買ったおにぎりで昼食をとっている時、遅れてきた従姉の長男が「ところで、まいこちゃん、なんでいるの?」と聞いてきた。切々と理由を語った。「もう、家にひとりでいるのが限界だったの。でも、いま私すっごく幸せなのよ~」と。彼は「すごく伝わってくるよ」と大人びたことを言う。ちぇっ、私が19歳のときに生まれたくせしてさ。
自分に必要なものとは、なんなのか。それを突き付けられる一ヶ月だった。
友達や家族に会うことができない。リアルな空間で人と会話ができない。身体を動かせない。自然にふれることができない。それがどんなに必要なことなのか。
その日、私は近所の友人宅の前にタケノコを配達。従姉家族は車で家に帰る途中で、なんと私の長兄、次兄、母の家によって、私の取ったタケノコを届けてくれた。会えないけれど、しあわせのおすそ分け。
すべてに満足して身体も疲れ切り、ぐっすりと眠れた夜。
この日の自粛やぶりがあったから、その後一ヶ月続いた外出自粛を乗り越えられたのでした。
#stayathome #ステイホーム #外出自粛 #コロナ禍
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