君のイヤホンを その1
前を行く彼の耳には、それぞれ一条のイヤホンがつながっていた。
たとえその耳が塞がっていなくとも、彼に話しかけることなんてわたしには出来ない。
「でも、、、なんか拒絶されているみたい」
ふと、そう呟いていた。もちろんその声も彼には届いていない。
わたしが彼と出会ったのは中学一年生のときだ。出会った、というか、彼のことを知ったのは。彼は運動ができるのに、男子中学生としてはあるまじきな程に周囲に優しくて、大人びていた。自分の席に座りながら、わたしはその姿をよく見ていたと思う。
だが、中3の最後の大会の直前に大きな怪我をしてから、帰宅部になり、彼はさびしげな顔をするようになった。辞めてしまったバレー部の人たちとはまだ付き合いを続けていたけれど、放課後はひとりで静かに帰ることが増えた。そして、同じ中学からはほとんど進まないような高校に進学した。私もその高校に進んだ。
高校で、彼はとてももの静かな人になった。話しかけられれば、優しく笑う。けれど、運動部だったときのような生き生きとした様子はほとんど見せなくなった。そして、高校でも部活にはいらず、電車を二回乗り換える、やや長い通学路を、イヤホンと共に帰るようになった。わたしはその間、ほとんど言葉も交わせず、なんの力にもなれなかった。
イヤホン、その商品の名前は知っていた、その形と使い方も知っていた。だけど、わたしは本を読むことの方が好きだった。紙の本の手ざわりとくらべると、イヤホンで聴く音楽というのは派手で、華美すぎるように思われた。早い話が、チャラついて見えた。
でも、彼の白いイヤホンはそんなものよりもむしろ、殻のようなものに見えてしまう。ただでさえ、遠ざかっていく彼が、さらに遠く感じられる。いい加減、この遠さはなんとかならないだろうか。
そんなことを思いながら、駅前で彼が乗ったバスが過ぎ去るのを眺めていた。わざとのような、そうではないような、そんな風に彼の姿を目で追ってしまっていた。なんとなく、いつものことだった。
バスが行ってしまうと、「イヤホン」の文字がふと視界に入った。駅前の大型の家電量販店、そこに確かに「イヤホン・ヘッドホン各種」と書いてあった。ふと、わたしはその家電量販店に入る。
イヤホン・ヘッドホンコーナーは、これまでも通りがかったことはあるけど、ちゃんと見てみるのは初めてだ。ここはツタだらけのジャングルみたいなところかと思っていた。実際には、イヤホン達はちゃんと箱詰めされている、けれど、色のバリエーションは原色的に豊富で、そのグラデーションを見せつけてくる場所だった。イヤホンの色といえば、黒と白くらいだと、勝手に思っていた。やっぱりチャラい、とわたしは思う。
とくにケースのなかで展示されているイヤホンたち。彼らは彼ら自身の、いちばん格好のいいポーズを誇らしげにこちらに見せてくる。どうやら高いらしく、モデルのようだ。
なんとなく馴染めない。そんな場所は、ナイーブな気持ちになるだけ見つけることができる。わたしにとってはこのイヤホン売り場は、まさにそんな場所だ。このなかから、ひとつ手にとって買うくらいのお金はある。でも、ここでよく分からずに高いのを買ってみるのも、自分のカラーではないイヤホンをぶら下げるのも、無難に安くて地味なものを買ってみるのも、何か違うんじゃないか。そんな気がした。
居づらい場所で、そんな訳の分からない自分の感覚と格闘していると、訳の分からない疲れ方をする、ということをいま感じつつあった。首筋にもへんな汗がつたう。
そんなときに思い出した。
「あっ、もってる」
わたしはイヤホンを持っていた。スマートフォンを買ったときに付いてきたやつ。ちょっとだけ試しで使って、すぐに使わないなと思って引き出しに入れていた。その引き出しもしばらく開けていないような気がする。そうして、イヤホンコーナーから、店から出て、いつも通りの帰り道を少しだけ早足で帰宅した。