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幸運な奈々子 Episode6 - Age 28


#創作大賞2024 #漫画原作部門

#あらすじ

主人公の吉川(旧制中村)奈々子は毎日、特に痛みもなく幸せに生きている。が、自分を幸運と感じるどころか、ついてないと思うことの連続である。そんな奈々子の日常を、年齢からつづるエピソード集。Episode 1は夫婦共働きの29歳。Episode 2は12歳の時の笑える経験。Episode 3は子供ができて、仕事との両立に奮闘。Episode 4は、奈々子が生まれる前の母親の行動。Episode 5は卒業旅行の顛末。前回2023はEpisode1から5でオールカテゴリに応募。時系列ではない話を読み進めると、彼女の一生が楽しめる作り。ユーモア/コメディ小説。

幸運な奈々子−6
奈々子はまだ、自分がどれほどラッキーな人間か気づいていない。

それは奈々子、28歳の時であった。

奈々子はその日、
久しぶりに大学時代の友人、島崎千里と六本木で落ち合い、
夕飯を食べていた。
ミッドタウンの手前の路地を入ったところに昔からある、
焼き鳥屋だ。
「焼き鳥って、時々食べたくなるよね」
と、何事もポジティブに捉えてくれる千里が、
奈々子の店選びを誉めてくれる。
「母が、防衛庁のそばに安くて美味しい店があるっていうから」
と、店選びに自信のない奈々子は、言い訳する。
「防衛庁?」千里が聞き返す。
「あの人いまだに、ミッドタウンが防衛庁、ヒルズがテレ朝だよ」
「うーん、テレ朝はまだ当たってるかな。でもこういうお店好きだよ」
「ありがとう。で、さ、南麻布の住み心地はどう?」
「いやあ、日本にいる間は、生まれてからずっとあの辺だから。
どうって言われても、比較できないし」
そうだよね、千里はラッキーな人なんだよね、
と奈々子は思う。

学生時代までは、
みんな似たような「サラリーマン家庭」で括られていたが、
就職となると、俄然差が出たのを、
奈々子は感じていた。

奈々子たちはいわゆる「プレッシャー世代」と括られる
1982~87年生まれだ。
就職氷河期世代と、ゆとり世代に挟まれた、
ニッチェな世代である。
千里が帰国子女なのは知っていたが、
それはつまり、お父さんが大手企業のエリート社員で、
海外支店に赴任していたということなのだ。
そのお父さんは、今は企業のお偉いさんだ。
千里も奈々子が羨む大企業に就職している。

「それで、引っ越すの?」
と千里が質問する。
結婚して一年。
夫である義彦の両親に、
「そろそろ、住宅ローンでも組んだらどうか」
と言われたことを、
相談というか、愚痴と共に千里に話してあった。
「うーん、多分ね。千里のそばに引っ越したかったのに、ダメそう」
「なんで?」
「私は、六本木の、狭いけどおしゃれな1LDKで、
35年ローンだと返済が月額15万円で済む物件を探してきたんだ。
欅坂がお散歩コースだし。
でも、うちの親も向こうの親も、反対でさ」
この、取らぬ狸の皮算用支払い計画では、
双方の親から500万円づつの頭金を払ってもらうことになっているが、
そのことを知っているのは奈々子だけである。

だが、
神様は奈々子が港区に住むのは柄じゃない、とお定めになっていた。

「そうか、両親からすれば、
将来子供のことも考えて1LDKじゃあ、って思うのは普通かも」
と、千里はうがった見方をする。
「今のボロアパートも居心地は悪くないけど、
義彦の学生時代からのガラクタも山積みで、足の踏み場もないの」
と、
自分が掃除をしないことは棚に上げて、義彦のせいにする。
「うーん、今、練馬区だったよね。
あの辺も悪くないよ。ご両親のそばでラッキーじゃない」
千里の慰めるような返答を聞きながら、
奈々子は、塩ねぎまの正肉にパクリと齧り付いた。

そしてモゴモゴと喋り出した。
「それが練馬区でもなくて、文京区になりそう···」
「文京区、悪くないじゃない」
千里は「悪くない」を繰り返していることに気づいているのだろうか。
「でもさあ。なんか、キラキラした輝きに欠けるというか。
ちょっと江戸時代に引っ張られるというか」
「住まいにキラキラした輝きを求める人、初めてかも。でも、なんで文京区?」
と、千里が聞き返す。
はつに七味唐辛子をかける手を止めて、
「いろいろあって、結局ねえ。自分でもよくわからないんだけど」
と、奈々子はため息をついた。

奈々子が育ったのは練馬区で、上石神井駅から15分ほど歩く。
親は今もそこにいる。
2歳年上の義彦は、奈々子の高校時代の家庭教師で、
駅に近いアパートに住んでいた。
実家は埼玉県の長瀞町というところだ。
大学生にしては2LDKという広めのアパートだったので、
就職後も結婚後も、そこに住んでいる。
毎朝二人は、西武線で高田馬場に出て、
義彦は大手町に、奈々子は渋谷に通っている。

義彦の親が、マイホームを買うことを勧めたと聞いて、
奈々子の親も、俄然乗り出した。
「あちらの親御さんは、頭金を用意しているのかしら」
「知らないよ」
「流石にあんたたちの収入じゃ、たいしたもの買えないわよね」
奈々子はムッとしたが、顔には出さず、親の反応を伺うために、
「千里のそばに住みたいんだよね」
と、言ってみた。
「六本木とかさあ、麻布とかさあ、いいよね」

しかし、母親は奈々子の言葉をガン無視だ。

「ちょうど、隣駅で駅前大開発のマンション工事が始まるから、
お母さん、見てくるわ」
「でもさあ、私も六本木で考えてる物件とかあるんだよね」
「そんなところに行ったら、一階で北向きのすごい小さい物件にしか住めないわよ」
と、母は笑ってみせる。
奈々子は一瞬、ぎくっとした。
この人もしかして、
私の考えている物件を見たんだろうか。
確かに、一階のロビーフロアの端に作られた北西向きの部屋で、
猫の額ほどのベランダの向こうは、
すぐに道路で人々が行き交っているようなロケーション。
もちろん、「柵や植え込みで、外から見えないようになっています」と、
セールスマンは言っていたが。

奈々子は生まれ育った土地が好きだ。
ちょっと歩けば石神井公園や善福寺公園の
自然に恵まれ、
三宝寺池の散策や、ボートに乗ったデートも決して忘れない。
けれど、
この辺に居を構えたら、義彦の親に嫌な顔をされるだろうことは、
奈々子も両親も、なんとなく気づいている。
つまり現在、
義彦親VS奈々子親で、
若者夫婦を自分たちのそばに住まわせようという駆け引きが
勃発しているのだ。

そんなある日、
奈々子はものすごい怒りを抱えて、ランチを買う行列に並んでいた。
昨夜、
義彦が不動産屋との約束をすっぽかしたのだ。
親がゴタゴタ言い出す前に、
義彦に六本木の物件を契約させてしまいたい、
と、密かに狙っていた奈々子だが、
義彦の残業でドタキャンされた。
怒りまくる奈々子に義彦は
「どうせ俺たちだけじゃダメだって。
うちの親は浦和の方に、物件見つけたって言ってるし。
違う物件なら、まず親に見せないと。
頭金だって貰えなくなるぞ」
と、穿った意見を言うが、
親には見せずに頭金だけ出して欲しい奈々子の苦労が、
まるでわかっていない。

しかも、午前中の仕事が終わりかけたところで、
パフィとあだ名される部長から、
くだらないコピーの仕事を押し付けられて、
奈々子のランチタイムは目減りしている。

これが怒らないでやっていられようか。

と、思った時、
奈々子はぐいっと右腕を掴まれ、
そのまま引っ張られて転びそうになりながら、
なんとか堪えた。
右腕には、奈々子の腕に捕まったことで、
転ばずに済んだ老齢の女性がぶら下がっていた。
「あら、あら、ごめんなさい。おかげで転ばなかったわ」
と、その人が奈々子に向き合って丁寧にお辞儀をしたため、
奈々子はランチの行列から外れてしまい、
一瞬にして奈々子のスペースは詰められ、
奈々子は順番から外れてしまった。
なんと言うことだ。
「あら、あなたねえ。何さんでしたっけ」
老齢の女性は、奈々子の顔を見上げながら話し続ける。
なんと言う邪魔!新手の宗教勧誘だろうか。
このクソババア、あっちいけ、
と奈々子が叫ぼうとした時、
「義彦ちゃんの···」
「え?」
「奥さんよねえ。結婚式行きましたよ」
と、その女性が嬉しそうにいった。
奈々子が叫ばずに済んだのはなんと言う幸運か。
知り合いだったとは。

奈々子がランチの列から外されたのを察知した女性は、
「すぐに食べられるものって、何があるかしら。
この券があるから、あそこのマックに行きましょう」
と、奈々子を道路の反対側のマックに連れ込むと、
株主優待券でビッグマックセットをご馳走してくれた。
神様は奈々子が、午後も遅滞なく働くことを望んでおられたのだ。

その晩、夕飯の席で、
「幹夫伯父さんが、お礼言ってるって。
それで、新大塚にある車庫付きの一戸建てを
破格の値段で貸してくれるって言うんだ」
と、義彦が言い出した、
「え?なんの話?」
「今日、渋谷で、幹夫伯父さんの奥さん、
つまり玲子伯母さんを助けただろう?」
「ああ、あのマックをご馳走してくれたお婆さん?」
「けっこう裕福でさ、玲子さんの実家。
それで、玲子さんのお姉さんが、ケア付きマンションを買ったから、
空いた一軒家を格安で貸してくれるって」
「ええ?いくら?」
「3LDKで8万でいいって。
今、アパートに払ってる金額でいいんだってさ」
「じゃあ、六本木は···?」
「安い方がいいよ。家賃の差額で豪勢に暮らそうぜ」
と、義彦は勝手に納得している。

両親に、この話をすると、
「まあ、大宮や川越に行かれたらどうしようと思ってたの。
いいんじゃない、あの辺なら」
と、誰も反対しない。
時は2013年。
神様も、その後の日本のデフレを考えると、
無理して高額なローンを返済するより、
安い家賃で広めの家に住む方が得策である、
とお考えになっていた。
神さまにしては、奈々子への優しい計らいであった。

次の週末、
板橋にある幹夫伯父さんと玲子伯母さんの家を
訪ねることになった二人。
奈々子は当然、
借りてきた猫のように、おとなしく笑みを浮かべて座っている。
「大きな声では言えないんですけれど、
姉の京子は出戻りなんですよ。
それで実家に住み着いたわけ」
と、先日ビッグマックをご馳走してくれた玲子伯母さんがいう。
出戻りなんて、死語に近いが、
この人たちの年代では、世間の目を憚ることだったのだろうか。
「当然子供もいないし、車も運転しなくなったし。
三階建てなんて、階段を登るだけで大変だって、文句ばかり。
しょうがなく、段差のないマンションを買ったのよ」
と、お茶を出してくれる。
京子さんが出戻りになったおかげで、
奈々子と義彦に回ってきた幸運であるが、
誰もその事に感謝するものはいない。
「よっちゃんは丸の内線一本で、簡単に出勤できるし、
奥さんも、歩いてJR の大塚駅まで行けるから、
一本で渋谷に出ますよ」
と、幹夫伯父さんが言うのを聞いて、
義彦はよっちゃんなのだ、と奈々子は理解する。
「あの辺りはねえ、天皇以外の皇族のお墓である豊島ヶ丘御陵もあるし、
雑司ヶ谷霊園もあるし、
五代将軍綱吉公が生母桂昌院の願いで創建した護国寺もあって、
都心とは思えない緑の多いところよ」
と、玲子伯母さんは、実家自慢だ。
が、青山霊園ならまだしも、
雑司ヶ谷にもお墓にも、奈々子は興味などない。
「普通に貸したら20万ぐらいは取れるんだけどね、
まあよっちゃんだから特別だよ」
と、やんわり幹夫伯父さんが恩を売るのに、
「いやあ、本当にありがたい。感謝しなくちゃなあ」
と、同席した義彦の父親が破顔で答えた。

というわけで、
若くして、
都心の車庫つき一戸建てに住める事になった奈々子であった。
どうも結婚してからというもの、
自分の意思で何かを決めるというより、
周囲が善意で考えてくれた物事が運ばれてきて、
その善意が迷惑で、思った通りでなくても、
なんとなくそれなりに人生が進んでいくなあ、と、
嬉しくもなく悲しくもなく、奈々子は不思議な気がしていた。

住んでみると、
それなりの広さのリビングにソファを置き、
ダイニングテーブルも揃え、
やっぱりカーテンとかもつけたくなって、
布団はやめてベッドを購入。
広い所に住むのはお金がかかることがわかった。
しかも、車庫があるから
義彦が喜んで車を買った。
半地下風に掘り下げた車庫だったため、
背の高い車は買えず、SUVは諦めたが、
毎月車のローンに5万円近く払っている。
こんなことなら、六本木のマンションのローンを組んで、
車を持たない方がお金が貯まったのに、
と、ため息をつく奈々子は、
クローゼットがたくさんあって、
物を放り込んでおける幸せに気づきもしない、恩知らずである。
車のナンバーが練馬ナンバーだったのは
「品川じゃないけど、実家と同じだから、まあいいか」
と、諦める事にした。
少しは成長しているのかもしれない。


今日も奈々子は特に痛みもなく、五体満足で生きている。だが、自分がどれだけの幸運に恵まれて生きてきたのか、気づいていない。


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