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#連載小説
海浜サナトリウム#6
彼は予定していた軍議を急遽欠席し、その日は1日中診療所のベッドの上で絶対安静を余儀なくされていた。感染防止のために隔離された部屋でいるために、人の声や物音は聞こえてこない。ただ、看護師と軍医が代わる代わる彼の様子を見に来る以外は、誰とも口を聞くことは無かった。
彼らは四角形の紙で鼻と口を覆い、それを紐で耳に引っ掛けていた。マスクといって、簡易的に感染防止のために着用するらしい。目元以外の表情が読み
海浜サナトリウム#5
結核。肺病。
彼の脳裏に常によぎっていた言葉が軍医の口から発せられた途端、彼はひどく狼狽した。
「そうか…俺が、肺病に…」
「診断確定は検査結果が出てからですが、いずれにせよ早急に入院し治療を行う必要があります。本日から軍議、任務、戦陣への出撃は全て中止してください。」
治療なんて。やっとの思いで軍に入隊したのに、全てを捨てて馬鹿のように日光にでも当たり続けるのか。彼は自嘲気味に笑った。
「日光に
海浜サナトリウム#4
彼は精神的な衝撃と倦怠感で歩くこともままならなくなった。壁伝いに跛行しながらやっとの思いで軍に併設されている総合診療所に辿り着いたのだった。
連合軍の軍医を任されているのは、柔和な物腰の長身の青年だった。静水を湛えたような美しい瞳を持ち、神秘のベールに包まれている。異国の出身で、もとは船医を勤めていたらしい。若いながらも大陸屈指の腕と知識を持ち、不思議な薬や術式で病や傷を治すと評判の名医だった。
海浜サナトリウム#3
彼は喀血するまでに自らを蝕む病に気づけなかったわけではない。入隊したばかりの未来ある若者が数年後に喀血し肺病と診断され除隊されるという話は前々から見知っていたのだ。
彼は他の軍人同様、肺病を恐れた。軍医から指南された手指消毒、呼吸法、全てに従い実行した。しかし一方で、そんな方法で肺病を予防できると信じていたわけではなかった。
肺病にかかると、発熱、痰の絡んだ咳から始まり、夜間の盗汗、やがて喀血に至
海浜サナトリウム#2
軍議に必要な資料や筆記具を集め、会議室に向かう途中、急に激しい咳と胸痛が彼を襲った。彼はその場で立ち止まり身を屈めながらこれまでにない息苦しさを感じていた。
と、不意に口内に鉄の味が広がったかと思うと、口から液体が溢れ出てきた。掌で覆っても留まることなく流れ落ち、木造の床に紅の溜まりを作った。
喀血。
彼は暫し呆然とし、その後ひどく狼狽えた。心臓の鼓動が早くなり、瞬時に頭に血流が集中したよう
海浜サナトリウム#1
青年が喀血したのは、連合軍に入隊して2年後の秋の暮れの日のことだった。
その日は晴れていたが、空気には肌に心地よさを感じさせるひんやりとした冷気を含んでいた。
彼はその日もいつものように早朝6時に起き、洗面台で顔を洗い、配給のライ麦パンと牛乳を食した。同じ時期に入隊した仲間と談笑し、その後軍議に出席するため準備をし始めていた。
元来几帳面な性格の彼は、寄せ集めの軍隊にとって貴重な事務官として