日経新聞「教育岩盤」シリーズを読んで
GWのこのシリーズはどの記事もすごく興味深かった。
まとまりがないかもしれないが、思ったところを書いてみた。
知識の「注入」と「活用」、どちらも求める教育
第3話のこちらの記事で特にうなづいたのは「知識の『注入』と『活用』の両方を求められる学習指導要領のもと、現場も子どももやることが増えている」という点。まさに我が子の公立IB校の状況を表しているように思えた。
その学校はDPは後期課程での選択制となっており、だれもがDPを取得するわけではない。皆がDPとなるなら知識の「活用」に振り切ってしまえばいいが、そうでないなら日本の知識偏重の大学入試も視野に入れて知識の「注入」もおろそかにできない。先生は色々尽力くださってるけど、進学を考えるとどうしても「注入」強化を期待する保護者も多くなる。
個人的にはIBの理念を気に入っていて、本当の「生きる力」をはぐくむよい教育メソッドの一つだと思っているので、「いいことをやっているけれど、日本の大学入試には役立たない(から、日本では勉強しても無駄)」という言葉を聞くと非常に残念に思う。
「合格歴競争」と格差
学校で知識注入が期待できないなら、知識偏重の入試対策ができないなら、塾や予備校に通おう。そうなると、それができる家庭とそうでない家庭の差が出てくるのがここになる。そのあたりにフォーカスした記事がこちら。
この背景には「どの学校に入れるか」を重要視する考え方がある。いい学校に入れば、いい職に就けるから。最近は必ずしもそうはなっていないだろうし、「いい職」に就いたところでその会社がずっと「いいところ」かどうかはわからない。それでも親は以前の価値観から抜け出せない。ついでに、わが子が有名大学に入ったなら、それはそれで外聞として悪くないし、という気持ちもあるのでは。
大学でも、教授やゼミの教育姿勢でも違うだろうが、入ることが最も難しく、卒業するのはさほど難しくないのが日本の大学。入ればゴール。そのあと、どう過ごすかが大事だが……
留年回避は、とどのつまりは…
大学でもなんとか卒業させるように先生方は努力する。高校でも、留年は極力避けるように指導する。「留年」は外聞は悪いし、留年すれば社会に出るタイミングが遅くなる。
つまり、入学後は皆と同じタイミングで卒業することが良しとされている。だから、学んだ中身は厳密には問われない。その結果、進学先や就職先で「学び直し」が必要となる事態となる。
「同じタイミングでの卒業」を求められる背景には、「新卒一括採用」があると思う。この制度に間に合わせるために、ベルトコンベア式に人を育成・教育していく。社会に出て、組織のベルトコンベアに乗る人もいるだろうが、残念ながら組織内のベルトコンベアは全員がそのまま乗っていけるようなものではない。少しずつ落ちていって、落ちた人はそこで初めて自ら道を見つけていくことになる。誰も「留年」しないようにサポートはしてくれない。
と、つらつらと書いたが、今回の記事はすべてつながっていると思う。
日本は一体どういう人材を育てていきたいのか。最近常に考えている。