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震災の痕跡 最後はダルバート 今夜から一人旅【専業旅婦飯11〜28年ぶりのネパール5日目下】

ニューロードで人が吸い込まれていく地下の店を発見。どうやら99ルピーショップだ。日本円に換算してもほぼ百均。で、食品から電気製品から観葉植物🪴まである今の日本のではなく、ラインナップは30年くらい前の百均風。プラやステンレスの食器、容器、洗剤やTシャツなどの衣類がびっしりでかなり混み合っている。


後に見た大きなスーパーや街の雑貨屋さんの言い値と比べるとかなり安い。
まあ言い値に関しては、一見のよそ者と地域の馴染客で違うのは当然だろうが。馴染みなら事情で“ツケ”にしたり、安くしたりするから。昔カトマンドゥでしばらく自炊をしていたので毎日近くの小さな店で卵なんかを買っていたら、どんどん端数切り下げたり飴とかくれたり3個買ったら1個おまけにしてくれたり安くなっていった。暮らしていてそこでしか買物しない人ならもっと安く、もし本当に困った状態の時なら裁量で持って行っていいとされることもあるだろう。
定価に慣れている私達にはいちいち値段を聞いて適正か判断したり値段交渉するのは心底邪魔くさいが、この個人間累進課税(控除含む)みたいな感じでで回っている世界もある。
そうではないこの99ルピーショップが流行るのは、カトマンドゥが都会だということかも。

今回どこの店でもダルバートはこういうお皿で出てきた。その後のおうちでもこのタイプがほとんど。

昨日の夕飯だけど
真鍮かどうかはわからないけれど
ちょっとゴールド帯びてぶ厚く重い大皿と脚つきのダルのカトリ(小椀)

でも20世紀にダルバートが盛られていたのは下のようなステンレスの食器であることが多かった。街で売られていたのもこのタイプの大小厚さや形状違いがほとんど。インドのターリーでも使われていたため、あまりに慣れすぎて91年に買って帰り、今でもそれ系料理では使っていたのに。

これが本場でもまだ主流の食器と信じて
家で作って盛り付けていた

もちろんこの皿系もまだ使われているが、99ルピーショップでステンレス食器が売られていたのは結構ショックだった。小さめのものなんか2つで99ルピー。
30年前はそれなりの価値があったはずだ。山の裕福なおうちでは、こういうお皿がピカピカに磨かれて、家の大きな食器棚に立てかけられてディスプレイされていた。聞くところによると日本もちょっと前花嫁箪笥を持たせてご近所にも披露したたように、結婚の時立派な金属の食器を持たせて婚家に飾りつつ使う習慣があったらしい。
薄いものは安いが、それじゃダメだとしっかりめのものを買って、今家に4枚ある。
何か価値暴落感があってショックと言ったが、よく考えるとそのうち2枚は日本の百均で買ったもの。その時も「この皿を100円で売るなんて、よくも」と思いながらつい買い足していたのだった。


そういえばニューロードにあったアイスクリーム屋、
21Ice Cream
はどうなったんだろう。ここら辺で目立っていたはずだけど。
そうだ 21。決して31ではない。けれど80年代の中国にその手の物はなく、チベットから崖崩れの道を歩いて抜けてきたら、むせかえるような資本主義的香りにクラクラしたのだ。同じように抜けて来た人達と再会してアイスクリームを食べた時の店内もアイスも眩しかった。
でも21Ice Cream は見つからず、代わりにこっちはあった。

これはサーティワンの方だよね?トゥエンティワンはどこへいったのだろう。

一旦戻ったホテルの部屋から出た所から見えるショットが好きなので写真に収めた。

向かいの部屋の窓とこちら側に下がった香炉(?)がネパール独自のエキゾチックさを見せる。

そう思って撮った一枚だが、よく見ると隣家の状態の方が気になってきた。
レンガのズレ、ヒビ、そしてつっかえ棒は2015年の地震の被害によるものだろう。屋根の下は完全に崩れ、元々の屋根はトタンではないはずなので、地震後の処置であると思う。
一階の出入口から🚽らしきものが見えるし、上の窓も閉まって住んではいない?かと思ったが、いつも誰かが出入りして、この中庭で作業や洗濯をしているから、使っているようだ。レンガの壁一枚なので、また揺れたり、それでなくても経年劣化は相当に危険な状態だろう。
もう一軒向こうの家の外壁を見てわかるように、壁を共有して建てるのはこの辺りでは普通だ。トマソン物件として残っている(古すぎてかつニッチすぎて誰にも通じないかもしれない表現です)屋根の跡を見ると、やはりズレや応急処置のままだから、建て直したところ以外は相当危ないのがわかる。
通りの面は直してあったりするので気づきにくいが、この(仮)のまま何となく住んでしまっている家は実は相当たくさんあるのだろう。

ちょっと早めに、最終の夕ご飯を食べることにした。
場所は昨日連れ合いの「誰もいなくて入りづらい」という理由でパスした店。路地の奥だが見た感じ良さそうだし、「こっちではどうももっと遅い時間に混むので、人がいないからと言って良い店でないというわけではない。その証拠に」とGooglemapのローカルの人たちのレビューを見せて合意に至る。

値段は安く、かつて食べたものにちょっと近い懐石料理系ではなく定食寄りで、でも店は清潔で大変おいしかった。

この緑の菜っ葉 ジャガイモとカリフラワー(アルゴビ)
トマトアツアールと浅漬けとダルとパパダ
ご飯も固めていない記憶にあるシンプルでとびきりおいしいダルバート

そうそう昔は品数的にはこんなもの。もうちょっとダルもタルカリ(野菜)もしょぼくて、ご飯に石が入ってたりして、でもいくらでも入る位滋養があって身にしみるうまさだったなあ。

で、見出し画面は、インドネパールのレストランの会計カウンターに大抵置かれている皿。
かつては左下グリーンのフェネグリーク一種が多かったが、今はクローブやカルダモン混ぜたり写真のここではナツメグ(右 結構高価)や氷砂糖のようなのもある。
食後口直し用だけど、こんなところまでバリエーション増えたのにはびっくり。

19時過ぎに交渉したタクシーに乗り空港へ行く連れ合いを見送った。
これからは一人だ。

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