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『桐生タイムス』連載「永遠の英語学習者の仕事録」【28】(2023/7/22)

人間が生きる上での習慣――大江健三郎がもうひとつ残してくれたもの

 大江健三郎(1935-2023)は、1994年にノーベル文学賞を受賞した。川端康成以来26年ぶり、日本人として2人目の受賞者となった。
 受賞の理由は、「詩的な言語で現実と神話の入り混じる世界を創り出し、現代人の苦境を、不安を覚えずにいられない形で浮き彫りにした」(who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today)というものであった。
 大江健三郎が文学に残した功績は計り知れない。『万延元年のフットボール』(1967年)、『洪水はわが魂に及び』(1973年)、『同時代ゲーム』(1979年)などの一連の小説群で「詩的な言語で現実と神話の入り混じる世界を創り出し」、『ヒロシマ・ノート』(1965年)、『沖縄ノート』(1970年)ほかのノンフィクションで「現代人の苦境を、不安を覚えずにいられない形で浮き彫りにした」と言えるだろう。
 だが、大江健三郎は、長男で作曲家の大江光(1963- )ともに、日本だけでなく、全世界にもうひとつかけがえのないものを残してくれた。
 今このことを英語で書いているが、今月の『永遠の英語学習者の仕事録』では、一部紹介したい(海外紙掲載を想定して英語で書いているので、以下、必要に応じてわたしの英訳も示す)。
 大江健三郎は、大江光の1枚目のCD『大江光の音楽』(1992年)のリーフレットに、フランスの哲学者ジャック・マリタン(1882~1973年)の「習慣」という言葉の定義を引用しつつ、次のように書いている。

 人間が永い時をかけて、経験をとおして、その職業の根本にあるものをつくる。そこには当の人間の意識的なものも無意識的なものも、すべて参加している。科学者にはその研究をつうじての人格ときりはなしがたいそれがあり、職人にもその仕事をつうじてのそれがある。マリタンは、それを人間が生きる上での習慣だと言っているのです。
A man lays the foundation of his job through his experiences over a long period. This foundation encompasses everything, including both his consciousness and unconsciousness. Just as a scientist's character is inseparable from their work, an artisan's work is also strongly influenced by their character on the job. Maritain refers to this aspect of human life as “habit.”  

 大江健三郎は海外文学の影響を強く受けていて、作中に特に欧米の重要作家の作品の解釈やキーワードを貪欲に取り込んでいる。大江文学が時に難解と言われる理由のひとつはここにあるかもしれない。だが、この度大江のエッセイを何本か英語にしてみて、英文であればこうした海外の古典作品からの引用が自然に溶け込んでいくように感じた。

 僕は光にとって作曲することこそ、その生きる上での習慣をなしていると思います。知能に障害のある――知的にはいつまでも子供のままの――息子について、誇張した言い方と聞えるかも知れませんが、僕にはかれの作曲の仕事ぶりとその作品に、光の人格があらわれていると感じるのです。

 知的な障がいをもつ大江光との共生は、大江文学のもうひとつの大きなテーマだ。光を投影していると思われるキャラクター(『洪水はわが魂に及び』のジン、『静かな生活』[1990年]そのほかに登場するイーヨー)は、大江健三郎の作品で重要な役割を果たす。

 光がもし作曲をしなかったならば、僕や家族はかれの内面にある、いちばん奥の箱にしまわれている繊細なものを、ずっと知らないままでいたことでしょう。それを表現する手段--和音やメロディーの作り方――をあたえ、表現するように励まし、そのようにして表現されたものをピアノなりフルートなりで実際に耳に聞えるかたちにして人につなぐ。

 障がい者とともに生き、彼らが個性を発揮でできる社会。大江は光とともにその社会を夢見ていたかもしれない。

 その過程をつうじて、光の心のうちに――魂のうちに、とさえいいたい思いですが――あるものを、僕らの共通の世界に呼び出してくださった人たちに対して、日々感謝を深めています。つまり僕として、それらの人たちの生き方の習慣に恩恵を受けているのです。
Throughout this process, my admiration for those who compassionately extract something from Hikari's heart ― or should I say, "from his soul" ― and bring it into our world, has been growing in my everyday life. In reality, I benefit from the "habit" they have in their lives.

 光を見守り、個性を引き出してくれる方たちへの感謝の気持ちを忘れることなく、自身も障がい者と定型発達者が安心できる社会の実現を目指したい。
 それが大江の生きる上での「習慣」であったと、『静かな生活』、あるいは『人生の親戚』(1989年)などを読むと強く感じる。
☆   ☆   ☆
 大江健三郎がノーベル賞を受賞した翌年の1995年10月17日、ある英語学習誌の50周年記念号で東京のご自宅でインタビューさせていただくという、大変な幸運に恵まれた。その日はわたしの30歳の誕生日だった。
「自閉症の方の支援をボランティアでしています」
 インタビューを終えてご自宅を後にする際、世界的重要作家を前にして、気づけばそんなことを口にしていた。
 大江健三郎はただ穏やかな笑みを浮かべていた。そのあと振り返った大江の視線の先には光の美しい顔があった。
 以来、翻訳者、編集者として仕事をしながら、自閉症と障がい者の方の支援活動も続けてきた。自閉症関係の本は和書も洋書を問わず、常時チェックした。
 わたしは幸運だった。ジョリー・フレミング『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(文芸春秋)を、大江健三郎が2023年3月3日に亡くなる少し前に刊行することができたのだ。あれから27年2か月の歳月が流れていた。

 僕は願っています。将来、あらゆるものを取り込める社会の建設が進められて、より多くの愛とケアが注ぎ込まれる。そうすれば、今言及されたような恐ろしい事件は少なくなるはずです。
 そんな社会において、僕らは誰もが役割を担います。
 障がい者はどのように扱われるべきか?
 社会は障がい者をどのように扱うべきか?
 こうした問題を考えながら、僕ら全員が何らかの役割を見出せるはずです。
 一緒によりよい社会を作り出せるはずです。
 人間の歴史の一部である愛とケアにあふれ、これまで僕らの周りで起こってしまい、今も世界のどこかで起こっている悪いことはほとんど見られない社会。
 そんなすばらしい社会を僕らは一緒に作り出せるのです。

「個人的な体験」かもしれないが、ジョリー・フレミングのこの言葉を聞いた時(『「普通」ってなんなのかな』243ページ)、1995年10月17日に見た大江健三郎と大江光の美しい表情を思い浮かべずにいられなかった。

 海外のメディア向けに英語で記事を書きました。
 https://blog.goo.ne.jp/getupenglish/e/e0ad6314d490a850700b53161b314a14

上杉隼人(うえすぎはやと)
編集者、翻訳者(英日、日英)、英文ライター・インタビュアー、英語・翻訳講師。桐生高校卒業、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科(現在の大学院の前身)修了。訳書にマーク・トウェーン『ハックルベリー・フィンの冒険』(上・下、講談社)、ジョリー・フレミング『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(文芸春秋)など多数(日英翻訳をあわせて90冊以上)。

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