リーダーは権力の行使から逃げてはならない
国であれ、会社であれ、組織のリーダーたる地位にある者には「権力」があります。威張ったり、自己の利益を図ったりするために与えられているものではありません。
リーダーの良し悪しがあらわれるのは、「危機」状態にある場合です。
順境に慣れてしまったリーダーは、権力を行使する場面であるにも拘わらず、権力行使から逃げてしまいます。
まだ我々日本人が忘れたくとも忘れることができない事件があります。
1,995(平成7)年に起きた阪神大震災と地下鉄サリン事件です。
何れも自社さ政権村山富市内閣だった。
どちらの事件でも、政府の対応の中で一つのポイントになったのは、自衛隊を投入するかどうかという問題だった。
毒ガスに関するノウハウを持っていたのは自衛隊のみ。阪神大震災については、国民の目から見て自衛隊の出動、つまり自衛隊の投入が遅すぎた。ここで、問題になるのが、リーダーの権力行使。
「後手を踏んだのは、もちろん一義的には宰相たる村山の失態であるが、これは同時に、自社さリベラル政権の実務的バックボーンを担っていた後藤田の失態でもある……(略)……
しかし、理由は何であるにせよ、彼は非常事態を前にして権力の行使から逃げた。危機管理の専門家である後藤田さえそうなのだから、 他の閣僚は推して知るべしである。
今の政治家たちは、長い順境の中で、権力者としての自覚を失ってしまった。だから、重大な危機に直面したときに思い切った権力の発動ができないのである。
そこで大胆に権力を行使するために指導者が持たなければならないのは、国家として何を成そうとしているのか、国家の何を守ろうとしているのかという、明確なビジョンであり価値観だろう……(略)……あからさまな権力の行使には、必ず、あからさまな責任が伴う。
その責任を引き受ける覚悟を持ち、はっきりした国家観を提示できることが、これからの宰相にもとめられる条件なのである」(福田和也・宰相の条件・祥伝社黄金文庫137~138頁)。
リーダーであれば、この適切な権力行使という場面から逃げてはならないのである。
石破総理に求められているのは、GHQ占領下の憲法の下で制定された日米安保条約を改定する、すなわち、いわゆる「同盟関係」を見直す政策だ。
権力の行使が求められる事態だ。権力を行使して日本の将来に益する方策をとれる首相であると信じている。
以上
(PS.)訃報
因みに、「宰相の条件」を書かれた福田和也氏は、本年9月2日、逝去されました。63歳との由。もう少し活躍して頂きたかった。ご冥福をお祈りいたします(合掌)