9.マッマッカーサー憲法の「改正」の具体的手順―まず「敵国条項」の削除(条約改正を行う)現行憲法を無効にし、その後に新しい憲法を国民の議論にさらす

現行憲法を無効にし、その後に新しい憲法を国民の議論にさらして制定すれば良いのです。

もう一度小室博士の見解を引用します。

本来の憲法学とは、憲法の解釈学などではありません。

『憲法を語る』とは、すなわち人類の歴史を語ることに他なりません。憲法の条文の中には、長年にわたる成功と失敗の経緯(いきさつ)が刻(きざ)み込まれているのです。その長い物語を解き明かすのが憲法学なのですから、本当の憲法研究はとても面白く、エキサイティングなものなのです」(小室直樹・日本人のための憲法言論9頁)。

日本神話を学び、天孫降臨から神武天皇の東征に至る物語は非常に面白い物語です。

そのようにしている間に、国民の間に「憲法とは何か」という意識が持ちあがります。

自民党が憲法改正を党是として出発し、これに対立する社会党が憲法改正に反対するという図式において、米ソ冷戦が東側陣営の敗戦(1991年・ソ連邦の崩壊)に至るまでは、 憲法改正論争が対外的に有用でした。

例えば、日米は同盟国家であるにも拘わらず、アメリカの対ベトナム戦争に派兵することはなかった。

すなわち、国内に自衛隊違憲論があるため、日本の国力をアメリカの対外的軍事力の行使に助勢させようとする勢力を防いだ、とみることもできます。

韓国がベトナム戦争に派兵したにも拘わらず、日本は国内問題に専念すれば良かったのです。

しかし、マッカーサー憲法制定時とは世界情勢も移り変わり、国内的にも現在の憲法をめぐる環境が激変しているのではないでしょうか?

今や、国民が全員が参加しての、真の意味での日本人のための憲法の制定が待たれます。

過去にも、憲法に国民の関心の集まった時代があります。国民自らが、国のあり方を考える時代ではないでしょうか?

「幕末維新期から大日本国憲法発布前に、さまざまな団体や個人が憲法草案の起草に取り組んだ数は。私の確認であるが現在一〇二種(元老院など政府側の案も含めて)を数える。

その中でも草案全文とその一部の内容が確認されるのは四〇数種となるが、中には地域で取り組んだ成果として草案完成との報道がありながら、未発見のものも含まれている

(新井勝紘「自由民権期の民衆憲法と日本国憲法の源流」―色川大吉編著 五日市憲法草案とその起草者たち234頁所収―日本経済評論社 2015年11月20日 第1刷発行)。


このように、明治期の前半、地方には憲法案が民間の中から出て来たのです。

例えば、嚶鳴社憲法草案は明治12(1879)年、日本帝国憲法(五日市憲法)は明治14(1881)年、植木枝盛が起草したとされる憲法私案東洋大日本国国憲按も明治14(1881)年。

その当時のダイナミックな動きを取り戻し、「マッカーサー憲法改正」にあたったら良いのです。

マッカーサー憲法の改正は、国内問題ではありません。国際的な問題でもあります。

日本がマッカーサー憲法について議論し始めると、周辺諸国もうるさくなるでしょう。

時間をかけて論議するのです。あわてる必要はまったくありません。

例えば、具体的には、国会で、又は地方議会で日本国憲法を無効とする決議をするとともに、国民の皆が納得できるまで議論して新しい憲法を制定しようという決議をすれば良いのです。

これが「地方創生」ではないのでしょうか。もう一度言いますが、「不文憲法」でもよいのです。

政治問題として、一つの方法を示してみましょう。

①    地方議会(都道府県又は市町村議会)でマッカーサー憲法の無効を決議した数が過半数に達した時に、

②    国会で無効決議をし、その国会の無効決議から5年後に現行憲法を無効と宣言します。

③    その無効となるまでの5年間の間に「新」憲法を制定します。

④    その後、国民投票をして、新憲法の制定とします。

このプロセスを通じて、日本は真の独立と自尊を取り戻し、将来の安全と繁栄を築くことができます。

戦後レジームからの脱却は、日本が独立自尊の国家として、真に自立するための重要なステップです。

これで、日本は昭和20年8月15日の「敗戦」をやっと認め独立自尊の国の国になるのです。                     (つづく)



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伊藤博峰
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