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理解できるまで本は読み込むべきだと思うと、繰り返し読み続けるしかないか。

本を読むにしても、あれこれ読まずに同じ本を繰り返し読むことを週単位でやって行ってもいいような気がする。

一回読んだところで、いい本は十分理解ができていないけれどまた読みたいと思うからいい本なので有って、それを自分の肥やしにする期間が必要な気がするからなのです。


 実際そんな本ばかりだ。

ハウツー本であっても、一回読んで(もないけれど)わからなければ何回も読む(必要ならば)べきなのだ。

ありがたいことに本ばっかり溜まっていて、どんどん肥やしのチャンスがあるわけだ。

すぐに自分のものにならないけれど必ず何かの肥やしになるはずなのだ。


 大学受験の時の英語の長文読解力なんてそんな感じで身についた感じだった。

夏休みに一気に長文ばかり挑戦していて、秋口になって急に力が出たような記憶がある。

おかげで志望校に入れたわけだ。

第一志望はそれでも受からなかった(というか逃げた)けれど。


 その時に逃げたからこそ、第一志望の国公立大に受かった弟にはいまだに変なコンプレックスがあったりする。

やれることをやったら同じ家庭・同じ学校から結果が違う進学先が決まるということなのだから、やらないということが一番良くないということなのだろう。


 逃げた先には将来が別れるのかも知れません。

せめて理解できるまで本を読み込むくらいのことはした方がいいと、今更ながら思っています。

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