あらやっと

アラカンのおっさんです。今までビルメンテナンス、とくに清掃業務を中心に仕事をしてきまし…

あらやっと

アラカンのおっさんです。今までビルメンテナンス、とくに清掃業務を中心に仕事をしてきました。別に還暦だからではないけれど、新しいことに挑戦したいと思っています。書くことが好きかもしれない、というのを長年引きずっています。原点は高校時代に出会った恩師の存在だと思っています。

最近の記事

  • 固定された記事

アウトプットにはインプットだ。

アウトプットをするためにはインプットする必要があると言うあたり前のことを、当たり前にやれていないと言うことを、強く思うのです。 これはお金のことだってそうだし、頭の中をアウトプットすると言うこと(書く、描く、表現する)も、そうするべきなのです。 お金のことで考えると、インプットというのはつまり稼ぐと言うことです。 額の多少に関係なく、稼いでいなければアウトプット(=使うこと)などできないわけです。 遊んで暮らしたい !などと言うけれど、わからない(居るかも知れないから)けれ

    • ちゃんと勉強して、ちゃんと高校行って、ちゃんと大学行って卒業すればよかった。 授業中もうるさくて、そんな高校から、天才は生まれるかも知れないが、秀才は生まれない気が今更ながらするのだ。 いや出身校に行ったことを後悔するわけではないけれど。 それはそれでよかったんだけれど。

      • お金は勝手に湧き出てこないのだ。 だから稼ぎにいくのであって、攻めていくのだ。 失敗しても良き、攻めていくこと自体に意味がある、つまりそれこそが成功の種なのだ。 やらないから変わらないし変われないだけだ。

        • 好きなように生きる「努力をする」。 それはつまるところ「行動する」ということだ。 あるいは「なりたい自分を目指す」ということであり、単に好き勝手するということでは無くて、その行動には責任を持つということだ。 もうタヒるというその時まで、誰にも遠慮することなく、精一杯生きれば良い。

        • 固定された記事

        アウトプットにはインプットだ。

        • ちゃんと勉強して、ちゃんと高校行って、ちゃんと大学行って卒業すればよかった。 授業中もうるさくて、そんな高校から、天才は生まれるかも知れないが、秀才は生まれない気が今更ながらするのだ。 いや出身校に行ったことを後悔するわけではないけれど。 それはそれでよかったんだけれど。

        • お金は勝手に湧き出てこないのだ。 だから稼ぎにいくのであって、攻めていくのだ。 失敗しても良き、攻めていくこと自体に意味がある、つまりそれこそが成功の種なのだ。 やらないから変わらないし変われないだけだ。

        • 好きなように生きる「努力をする」。 それはつまるところ「行動する」ということだ。 あるいは「なりたい自分を目指す」ということであり、単に好き勝手するということでは無くて、その行動には責任を持つということだ。 もうタヒるというその時まで、誰にも遠慮することなく、精一杯生きれば良い。

          なぜだろう、気分的に不安定な感じも少しある。 もっとどっしり構えていても良いくらいだけれど、なぜだか分からないけれど、落ち着かない感じなのです。 普通は部屋にいて何も差し当たっての用事がなかったら、リラックスして、好きなことをやれば良いわけだけれど、逆に落ち着かない。

          なぜだろう、気分的に不安定な感じも少しある。 もっとどっしり構えていても良いくらいだけれど、なぜだか分からないけれど、落ち着かない感じなのです。 普通は部屋にいて何も差し当たっての用事がなかったら、リラックスして、好きなことをやれば良いわけだけれど、逆に落ち着かない。

          書くことが浮かばない、と思っているのだけれど、当然なことではあるのです。だって、何にもやってないのだからだ。本を読むでなし、外を歩いて何か発想するでもなし、仕事して何かを感じるでなし。何にもやれていなければ、書くようなことは浮かんでこないわけです。日々の変化こそ発想の源ですね。

          書くことが浮かばない、と思っているのだけれど、当然なことではあるのです。だって、何にもやってないのだからだ。本を読むでなし、外を歩いて何か発想するでもなし、仕事して何かを感じるでなし。何にもやれていなければ、書くようなことは浮かんでこないわけです。日々の変化こそ発想の源ですね。

          生活習慣で改めたいことを思う、今日の雨の日に、パフォーマンス低下してやるべきこと・なりたい自分への行動を全然やれていないこと、これをどう改めるか?だ。 目指す方向ややるべきことは分かった上で、どう始めて続けていくかということなのだ。始めるタイミングを早めることだけなんだろうが。

          生活習慣で改めたいことを思う、今日の雨の日に、パフォーマンス低下してやるべきこと・なりたい自分への行動を全然やれていないこと、これをどう改めるか?だ。 目指す方向ややるべきことは分かった上で、どう始めて続けていくかということなのだ。始めるタイミングを早めることだけなんだろうが。

          人生は短い、だから急ぐ、というか、あと10年、20年突っ走って生きたら良いと思うのです。多分、たとえ何の仕事をするにしても、あまりこだわりを持っていなくてもいいということであって、それ以外にやりたいことをやっていけば良いということだし、それが仕事になれば尚良しということなわけだ。

          人生は短い、だから急ぐ、というか、あと10年、20年突っ走って生きたら良いと思うのです。多分、たとえ何の仕事をするにしても、あまりこだわりを持っていなくてもいいということであって、それ以外にやりたいことをやっていけば良いということだし、それが仕事になれば尚良しということなわけだ。

          みんなと同じでないとダメなのか?

          皆と同じでないとダメなのだろうか? 今日商業施設でエスカレーターに乗っていた時に、聞こえてきた女子高生くらいの子たちの会話で、みんなが恋活するからするというのに違和感があると言っていたのだけれど、別に皆と同じである必要はないのだ。 実は個人的には同じようなことを思っていたのです。 結婚していないこと、だから子育ての経験がないこと、これらに同じようなことを思っていたのです。 結婚して子育てをして、というのは人間以外だと、生存の絶対条件であって、その意味では皆と一緒でない

          みんなと同じでないとダメなのか?

          Threadsやめました。

          昨日衆議院議員総選挙が終わって結果が出て、「我が県では裏金議員が当選してばかりで申し訳ない」とか、「大阪は維新の議員ばかりで不安が増す」とかいう意見がThreadsで投稿されている。 Threadsはもはや一般的な意見の場ではないな。 一般的な結果としては、裏金受領議員も当然当選した。 選挙民が彼らに投票すれば当然当選するわけで、当該の裏金議員に世話になってきた人たちは、よくわからん対抗馬の新人に簡単には乗り換えないことの結果だと思う。 Threadsがそういう人たち

          Threadsやめました。

          お金が入って来るか来ないかの別れ目は、入ってきた大金をどう扱うかの意思決定にあるような気がする。ただ単に「お金欲しい!」と思って、開運音楽を聞いているだけで入って来るということがあるならば、そこらじゅうにお金持ちが溢れていそうなもんだけれど、そこまで単純じゃないということか。

          お金が入って来るか来ないかの別れ目は、入ってきた大金をどう扱うかの意思決定にあるような気がする。ただ単に「お金欲しい!」と思って、開運音楽を聞いているだけで入って来るということがあるならば、そこらじゅうにお金持ちが溢れていそうなもんだけれど、そこまで単純じゃないということか。

          今日の衆議院選挙に思うこと。

          選挙が行われて、開票作業が進んでいるけれど、自民党候補だからと言って必ず落ちるわけではないわけで、それは見ててなんとなくわかる。 自民党候補、あるいは元自民党所属で未所属出馬の候補でも、通る人は通る。 たとえば西村康稔氏。 あるいは世耕弘成氏。 自民党候補では、象徴的なのは小泉進次郎氏。 名前も顔も知られていて、議員活動の内容もある程度わかる人であること。 他に立った候補が新人で知名度がなかったから勝ったということもできるのかもしれないけれど、西村さんは当選した。

          今日の衆議院選挙に思うこと。

          いつまでも反省してばかりではなんなのだけど。

          自分がなりたい姿になるための努力をしていないと反省しているところです。 大雑把になりたい姿を思い浮かべているだけだとしても、それでもやるべきことはあるわけです。 その意味で、細かく具体的に行動に落とし込んでいないからダメなんだという言い訳は通用しない。 本を読むだけでもいいし、フィジカルトレーニングでもいいのだ。 それすらやらないで、何となくYouTube見て過ごしたりしているだけというのが、反省する一番の課題だということです。 暇を潰すためにYouTube、って本来暇な

          いつまでも反省してばかりではなんなのだけど。

          面倒くさいという気分が一番厄介だ。 どんなに立派にものを考えたところで、それ良いんだけどなあ、でも面倒くさいよなあの一念であとまわし。 これってなんなのだろう。 今もそうなのだ。 一応準備した原稿があるのに、もう夜も遅いし、明日!って寝かせてあるものがあります。

          面倒くさいという気分が一番厄介だ。 どんなに立派にものを考えたところで、それ良いんだけどなあ、でも面倒くさいよなあの一念であとまわし。 これってなんなのだろう。 今もそうなのだ。 一応準備した原稿があるのに、もう夜も遅いし、明日!って寝かせてあるものがあります。

          「今」お金が有るということよりも、「継続的に」お金が有るという状態にあることが大事。 「今」有ったって、使えば無くなる、当たり前。 「継続的に」お金が有る状態を作るということは? 「今」無くなっても再びお金が有る状態に戻るということを意味するから、お金に困らない。

          「今」お金が有るということよりも、「継続的に」お金が有るという状態にあることが大事。 「今」有ったって、使えば無くなる、当たり前。 「継続的に」お金が有る状態を作るということは? 「今」無くなっても再びお金が有る状態に戻るということを意味するから、お金に困らない。

          何を経験しても、それは新たな知見を広げたことには違いない。だから経験することが良いに越したことはない。たとえそれが自分にとって、良いものであろうがそうでなかろうが、変わりはない。後々結果として、それが自分にあっているか否かがわかるので、それから判断すれば良いだけだ。

          何を経験しても、それは新たな知見を広げたことには違いない。だから経験することが良いに越したことはない。たとえそれが自分にとって、良いものであろうがそうでなかろうが、変わりはない。後々結果として、それが自分にあっているか否かがわかるので、それから判断すれば良いだけだ。