一人十色 わたしの中の多様性
「一人十色 わたしの中の多様性」
この考えかた面白いわ。
わたしが、たくさんのわたしと出会えば出会うほど人生豊かになるのかもしれない。
久々に全身鳥肌が立つ記事と出会いました。
涙まで出てきてしまいました。
紅茶教室をやっている理由かもしれない。
「たくさんの人とつながって、自分の中の小さな自分をつくる。」
前編
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/39290/
後編
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/39479/
いまの時代、よく多様性という言葉を耳にする。
それは、他の人と自分の価値観の違いを認めるという使われ方。
もしくは、性の多様性。
いまどき、男だから、女だから、は、いらない。
性別に丸をする項目も、いらないと思っている。
なぜなら性別を越えた「人間」というくくりでいいと思っているから。
くくらなくてもいい。
結婚という形にこだわるのも、そろそろ終わりかもしれない。
男性は女性を、女性は男性を…
男性は外で働き、女性は家を守る…
というくくりがあるから、どちらにも当てはまらない人が苦しくなる。
ただの人間なんだから、どんな風でもいい。
わたしは、いままでそれが多様性だと思っていた。
でも、記事を読むと、そうじゃなかった。
わたしの価値観がひっくりかえりました。
多様性の時代というのは、
自分の中の多様性を認められる時代
のことかもしれない。
と。
わたしという人間は、一人じゃない。
わたしの中には、いろんなわたしがいることに気づくこと。
それを認めること、誰かと認め合うこと。
まずは、
わたしの中の多様性に目を向ける
ことから始まる。
かなり衝撃的な言葉です。
親といるときのわたし。
夫といるときのわたし。
子どもたちといるときのわたし。
友達といるときのわたし。
別な友達といるときのわたし。
上司といるときのわたし。
…
きりがない。
どれひとつとっても同じ顔はない。
わたしの中には、たくさんのわたしが存在する。
だからこそ、人とつながることが必要になってくる。
孤独だと、孤独な自分でしかなく、
いろんなわたしが引き出されない。
人とつながることで、
わたしの中に新しいわたしが生まれ、
新しいわたしと遭遇する。
当然好きなわたしだけでなく、嫌なわたしとも遭遇することもある。
嫌なわたしが増えてくると、苦しくなるのかもしれない。
自分のことが好きになれない人は、
おそらく、全部のわたしを好きになろうとしているから。
わたしはよく子どもたちに、
自分の中には、好きなところと嫌いなところ両方誰でもある。
と、伝えています。
他人に対してもそう。
全員と仲良くする必要はないし、嫌いな人がいてもいい。でも、いじわるはしてはいけない。
と、これだけはうるさく言っています。
その子のことが嫌い。
ではなくて、
例えば
その子のぶりっこな部分が苦手
という風に、一部分として受け止めればいいんだよ。
と。
相手の好きな部分、嫌いな部分と冷静になれれば、優しくなれる。
わたしに対しても同じ。
自分の中に、好きな自分をたくさん見つけてあげれば、自分に優しくなれる。
自分を犠牲にして、他人へ愛をあげることはできない。犠牲にしたと思う場合は、必ず見返りがほしくなる。
そもそも誰かに優しくするのは、犠牲とも思っていないので、見返りなんて最初から頭にはない。
自分を愛してこそ、はじめて他人を愛せる。
自分に優しくするように、他人に優しくする。
というのが本来のあり方。
だからわたしはもともと、自分と他人を分けて考えていないなぁとしみじみ思ったのでした。
なんて興味深い記事なのだろう。
自分の中にいろんな価値観があることを知る。
そして、
十人十色もそうかもしれないけれど、
まずは、
一人十色
紅茶教室は、皆さんが新しい自分と出会う場であってほしい。
紅茶を通じて、人と人が出会い、新しい自分がたくさん生まれることで、生きることへの喜びや笑顔が増えればいいなぁと心から思っています。
お茶の時間は、なににも囚われない心を受け止める時間でもあります。
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