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歯医者訪ねて三千里。
現在は歯の治療も終わっており定期検診のみとなっているが、私の人生は常に歯医者と共にあった。
幼い頃はあんなにお菓子を制限されていたのに、歯をきちんと磨いていてもすぐに虫歯が出来る。
↓お菓子を厳しく制限されていた話
歯をきちんと磨いているというのに、気がつくと虫歯が出来る→歯医者へいくという、イタチごっこのような感じであった。
幼い頃通っていた歯医者は、今振り返ると衛生観念大丈夫、、?という、THE昭和!って感じの歯医者であった。
ちゃんと洗っているのかな、、と思ってしまう、ボコボコの銀色の使い古されたコップ。
おじいさんとおばあさん夫婦の歯科医。
やたらとガリガリ音が鳴る、歯を削る機械。
待合室にある漫画雑誌ぶ〜け。これ目当て。
変な色の瓶につまっている綿や薬品。強い緑色や茶色のガラスの小瓶が五つぐらい並んでいた。
その建物は2階が歯医者になっており、窓側に位置する歯医者の椅子に座ると隣の建物の裏側がよく見えた。
私は元来、建物の裏側、とか、知らない人の家の庭、とか、知らない人の家の中、などが見えると、背徳感というか何とも言い表せない感情なのだがとてもワクワクしてしまう。
今もあまり変わらないが、、、
例えば、
夏の夕方。散歩をしていると、通りに面した家なのにサッシを網戸にしたまま、電気をつけて中が丸見えの家があったりする。
なんなら、大きな音でテレビが点いていて、そこから聞こえるナイターの中継や、早めの夕食を囲む食器のカチャカチャ音。
そこに息づく家族が見えるような気がして、ホッとするのである。
そういう家の台所は、よく私がいうところの『機能した台所』である。
また、ある家の庭。長屋の集合住宅のような。
高校の帰り道、普段通らない道を一本かえて自転車で走ってみたら、その長屋の集落に出会った。
そういう家の庭は軒先に洗濯物が干してあり、縁側にサンダルや虫取り網が立てかけてあり、とてつもなく大きな向日葵が咲いていたりする。
他に芙蓉の花や昼顔があちらこちらに咲いていたりする。
どこか懐かしい、遠くて帰れない夏にきたみたいな、なんだか切ない気持ちになった。
また、別の家の2階だけが見えたある冬の日。
とかく私は家に帰りたくないので、友人のエリを巻き込んでは色々な場所で時間を潰して帰った。
そこは、住んでいるのかな、、?というような朽ちた木造の趣がある家で、一回部分は非常に高い塀で何も見えなかった。
だが2階には、股引きなどの洗濯物が干してあった。
暖かい冬の午後の日差しと相まって、私にはその光景が非常に美しいと思えた。
そして #梶井基次郎 の #檸檬 を思い出し、これこそが
『みすぼらしく美しいもの』だと思った。
勝手に人の家の2階を見上げてそんなことを思っている女子高生なんて、どこまでも失礼な女である。
申しわけない。今となってはあの家がどこにあるのかすら分からない。
そんな風に、まじまじと見てはいけないんだけれど、そこに生きている人たちの息吹が感じられる、そんな何かを見ることが好きであった。
その逆もまた然りで、退廃したなにかを見ることも好きであった。
歯医者から見える景色はその退廃した何かの最たる例であった。
隣の建物は白のコンクリートで出来ており、苔むしていた。さらに蔦がはっていて完全に機能していない建物だと感じた。
歯医者の庭も見えた。
隣の建物の裏にあり、歯医者の北側に位置するその庭は、陽が当たらずなんとなくジメジメしてそうであった。
さらに雑草が生えたままになっており、様々な雑草が方々に自由に生息しているといった、機能していない庭であった。
梶井基次郎の言葉を借りれば、みすぼらしく美しい庭である。
そんな退廃した歯医者の裏側を見ることに全力を注いでいたため、治療の間も目を閉じながらその庭が秘密の空間に通じている空想などをして楽しんでいた。
皆一様に歯医者が怖かったというけれど、私はワクワクしていたのだ。治療のことはほぼ記憶にない。
まぁそんな感じで毎週のように歯医者に通っていたのだが、転校してからは違う歯医者に行くことになった。
あの歯医者は今もあるんだろうか、、、
中学のある時期、とにかく歯が痛くて死にそうであった。
その時期の部活はなぜかしょっちゅうボランティアで老人ホームの掃除に行ったり、ハンドベル演奏などをしたりしていた。
だが私はずっと歯の痛みと闘っており、顔がおたふく風邪のように腫れて死ぬかと思っていた。
親はすぐには歯医者に連れて行ってはくれず、土曜日まで我慢しろというので冷やしっこという名のアイスノンで冷やしながら、なぜ私はこんな痛みに耐えてハンドベルなどやっているのだろう、、という毎日であった。
ハンドベルを振るたびに歯に激痛が走り、死ぬ苦しみであった。
後にその歯は抜かれることとなる。
このように、歯を磨いているのに気がつくと虫歯になった歯がもう無理!っていうところまで死んで抜歯、という流れになることが少なからずあった。
現在にいたるまでいくつもの歯医者に通ってみたが、これだ!という歯医者に出会えたことは数少ない。
数年前に通っていた歯医者は、これまたおじいさんだが、名医であったと思う。
また痛えのか!痛いのはこの神経だなぁ?ちょん!とピンポイントでその神経を当てる。
ぶっきらぼうだけど優しい、そんなおじいさんであった。
ちなみにこの歯医者の室内もまた独特であった。
全体的に古いのだが、小さいながらも機能しつづけてきた建物、という感じが好きであった。
トラバーチン模様の天井に、先生が描いたのか、、?と思わしき、海と椰子の木とサーフボードを持った女性の絵が描いてある。
トイレには、奥様が作ったのかな、、という感じのハンドメイドっぽいタオル掛けがあり、どこかの社名が入った白いタオルが掛けられていた。
トイレの床は紺色とか緑色の丸いタイルが敷き詰められた、ザ昭和って感じであった。
受付には、何十年いるのかなって感じの歯のぬいぐるみが鎮座しており、きっとこの歯医者を何十年も見守ってきたのだろうな、という感じがした。
ちなみにそのおじいさん歯医者から、あなたは歯を磨いても虫歯になりやすい体質だよ多分、と言われた。
だからちゃんと磨いてもこうして定期的に歯が痛くなっていたのか、、、数十年生きてやっと知った事実であった。
それにしても、名医を見つけたというのに、そのおじいさんは引退して店を畳んでしまった。
現在はまた違う歯医者に通っているが、この先も私は健康な歯を求めて、自分に合う歯医者探しをする人生なのだろう。
歯医者訪ねて三千里。
#いい歯のために