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「真面目過ぎる教」から脱出

毎日真面目にやってるよね。
真面目に生きているよね、偉い!
きっとその真面目さに助けられた人がたくさんいる。
でも、たまにはテキトーになってもいいんだよ。

これは過去の私に言いたい。

「真面目にやらないと意味がない」
「真面目に生きていない人間はダメになる」という洗脳を受けて育ったこの私。
自分で言うのもあれだけど、
本当に真面目にいい子でやってきた。

でも、苦しかった。
真面目にやらないと認められないと思い込み、
自分に厳しくするが、
気づいたらそのうち人にもその「真面目」を求めるようになった。
テキトーにやってても同じ成果を出す人、
なんならテキトーにやってるのに自分より成果を出している人に、
イライラを覚えた。
今考えたら、それはその人達の要領がよかっただけじゃないかな、
でもそれすら認めたくなかった。
なぜなら、それができていない自分が許せなかったから。

でもおかしな話じゃん?
自分が真面目だからみんなも真面目にならなきゃって、
人を変えようとしてるじゃん?
みんな個性があって、生き方もそれぞれだから、
別にどうだっていいじゃん?

真面目な人ほど自分を苦しめやすい傾向にあると思う。
真面目なあなたも、
テキトーにやるあなたもあなたである。
そしてどっちのあなたも愛される価値がある!

テキトーに生きてる人を見てイライラするのであれば、
一回同じようなことをしてみたら?
え?そんなことできない!なんて言わずに、一回やってみようよ。

やってみて、やっぱりこのやり方好きじゃないと思えたら、
元のやり方でもいいし、もっと違うやり方を探すのもありだし。

やってみて、あれ?私、テキトーのほうが向いてるかもと
気付く可能性だってあるから、
そうなったら、もう完全今までの「真面目過ぎる教」から脱出して、
好きなように生きればいいじゃん。

好きなように生きよう。
しつこいけど、
どんなあなたでも愛される価値はあるよ。

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