気分の波に揺られながら息をする
注意書き
※はじめに、この記事には精神疾患について、一部センシティブに捉えられる内容が含まれています。
出来るだけ柔和な表現を使うことに気を付けていますが、このトピックが苦手な方はここで記事を閉じていただくことをおすすめします。
※またこの記事の内容は、当事者としての私個人の経験による、一意見に過ぎません。医療についての知識が乏しいので、あくまでも私の場合はこうですよということを記しています。
正確かつ詳細については、医療関連の職に就いている方に聞いていただいたり、公的機関のウェブサイトでお調べいただいたりすることを推奨いたします。
また、常に病気と闘いながら生きている方々をこの目で見てきました。どのような疾患であれど、その様な方々に対し偏見や差別の目を向けることや、からかうこと、陰口を言うことは、その方々を深く傷つけかねません。お控えください。
では!以下より本文です!
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大きく揺れるブランコ
突然ですが皆さん。
公園にあるブランコを思い浮かべてみてください。
さて、浮かびましたでしょうか。
皆さんの頭の中に浮かんだブランコ、揺れてませんでしたか?
子どもの頃、近くの公園でブランコを思いきり漕いでいた記憶がよみがえりました。
ブランコって、揺れ幅が大きくなればなるほど心臓が浮いたような感覚になるし、それにつれて叫び声も大きくなりますよね。
「お~、うわあー!、お~~う、キャー!!、ギャァアアア!!!」みたいな。
なぜこの話をはじめにしたかと言うと、私は気分面においてのブランコの揺れ幅がもの凄く大きいんです。
良くも悪くも前後、「キャー!!ギャァアアア!!!」しかないみたいな。皆さんはどうでしょう、どのくらいの揺れ幅ですか?
この気分面においての揺れ幅が大きいことが発覚したのは、仕事をお休みするようになり、心療内科に受診し「双極性障害」と診断されてからです。字面でも分かるように、2つの極端な面がある疾患です。
The Definition of Bipolar Disorder
この言葉を聞いたことがない方や、名前は知っているけど詳しくは知らない方に向けてもう少し説明をします。
Google先生によると、
さらに分かりやすくするために図もお借りしました。
この図だと下側に当たります。誰でも生じる気分の波よりも上にも下にも大きくはみ出していますね。
今までの経験上、私の症状はうつ状態が重く、躁状態はそこまで大きくはみ出していないように思います(軽躁状態と言います)。
躁状態もうつ状態も一定期間続くことや、本来の社会的機能が損なわれること、といった定義もあるようなのでさらに詳しい情報を知りたい方はお調べください。
さてさて、なんとなくこの病について大まかにはご理解いただけたでしょうか?
当事者さん、実際の症状ってどんな感じ?
次は私の実体験に基づいて、うつ状態と軽躁状態のエピソードをまとめてみようと思います。ちなみにADHDも持ってるので、軽躁状態においては症状が併発している可能性があるらしいです(病院の先生から聞きました)
これらは全部私が実際に経験したことです。初めて箇条書きにしてみましたが、いやーーー、今日までよく生き延びてきたなって感じです。
めっちゃ頑張ってると思います。花丸どころではない!賞金1億円に値するはず…。(可哀想アピールとかでは一切ないですからね。)
ちなみに、うつ状態の時に自分でもどうかしてたなって思うことがあってですね。
髪が元々ミディアムくらいの長さだったんですが、人生どうでも良くなりすぎて、髪の毛を4つに分けて結んで、やけくそになってぶちぶちに切ってやって、ボブにしました。次の日に母(美容師)に整えてもらいました。大変迷惑をかけました。感謝しかない。
結果、ドライヤーする時間がかなり短縮されたので良かったですね!(ここ笑うところです)
この疾患ですよと言われたことは、私的に正直なんとも思わなかったんです。
診断される前から「私の人生って山と谷の差、大きくないか?皆んなこんなものなのか?」と感じていましたし、
「周りの皆んなが何気なーく通ってる道、全然歩けてないな。えーなんで?おかしくないか?生きづらさが凄いんだが。」とずっと思っていました。
なので何となく自分の内面に何かしらあることは気付いてはいました。
何なら病名が付いたことで「あっやっぱりそうですよね!」と、安心感を覚えるほどでした。
しかも、気分障害(うつ病や双極性障害)は心ではなく脳の病気みたいです。
これを知った時は、
「もうこれって自分の力ではどうしようもないやつやん、医療の力借りるしかないね!」なんて良い意味で諦めがついたというか、自分のこんな所も少し許容できるようになってきた気がします。やっぱり悔しい気持ちもありますが。
ただ問題なのが、この疾患は大変厄介で面倒くさいんですよ。
さあ次はそう思った理由を4つ説明していきまーす、レッツゴーーー!
1つ目は、「脳の病気なので外見だけでは分からない」ことです。
私は初対面でよく「真面目そう、しっかりしている、元気がある、いつも笑っている」と思われがちです。なぜ?という感じなのですが!
そう思われてしまっても仕方ないです。それはただの仮の姿というか、仮面を被っているだけなので。それも自分の一部なんですけれど…。
家族と病院でお世話になっている方々以外は、うつ状態になっている時の私の実際の様子を知らないはずです。
双極性障害では軽躁状態の時、普通に元気のある明るい人だと思われがちなので周りの人々に理解がされにくいです。
以前はそのイメージに出来るだけ近づけるように、自分をうんとこしょ!と張り切って持ち上げて期待に応えようとしていました。しかしやっぱり疲れ果ててしまいました。
本来自分の実力が10だとしたら、期待値は20くらいなのでそりゃあプラス10も上げようとすると心が簡単に折れます。実際は激ポンコツですし。社会に馴染むのが苦手です。
2つ目は「気分の波なんて皆んなあるよ!」と言われることです。
この記事をここまで読んでいただいて、上の文が頭に浮かんだ方があまりいないことを願います。
今の私には「そうですよね〜」と苦笑いしながらも、心は傷つくことしか出来ないと思います。
「大丈夫!治るよ!頑張ろう!」と言われると余計にしんどくなるし、その何気ない一言でうつ状態に転落する可能性があるので、嫌だな、言われたくないな〜と常に私は思っています。
3つ目は「軽躁状態の時、自分の認識はただ“調子が良い”でしかない」
調子が良い時と軽躁状態の違い、現状よく分かっていません。なぜなら、調子が良い時も軽躁状態の時も、自分的にはただ楽しいからです。
アイデアもたくさん湧き上がってきますし、テンションも高いですし、うつ状態の時を知っている分、その時出来なかったことが出来るようになる喜びが大きいのです。
この時期にあんまりに無理をすると、波が上昇した分だけ下降するみたいなので、病院の先生やカウンセラーさんからは「やりすぎ注意ね!」と何度も注意されます。コントロールするのが難しいです!
最後4つ目は3つ目と繋がりがあるのですが、「ニュートラル状態ってどれ?自分の本来の姿ってどんなだったっけ?」です。
例えると、「私が乗っているブランコは常に揺れています。どうしたらブランコが止まるのか、方法がわかりません。前まではブランコが止まっていて地面に足が着いている状態を知っていたのに、急にわからなくなってしまいました。」と言ったらわかりやすいですか?
もうこれはどうしようもなくて、病院に定期的に通って、カウンセリングを受けて、薬を飲んで、そして時間が解決してくれると思うしかないかなって思ってます。
総括すると、一言、生きづらいです。
ただそれだけです!笑ってまいます!ハハハハ!!!!!
大切な言葉
こーんなに厄介で面倒な病気を患っていても
“You’re so beautiful just the way you are”
と、自分自身に言ってあげられるようこれからも生きることだけは諦めずにいようと思います。
そしてもう一つ私が大切にしている言葉があります。
“It is okay to not be okay”
直訳すると「大丈夫じゃなくても大丈夫」
I’m fineはもちろんのこと、I’m okayとすらも言えない日々が続いてもあなたはあなたそのままの姿でいるだけで素晴らしいよ。あなたの生き方、ユニークで素敵じゃないの~♡ という意味で捉えています。上の言葉と似てますね!
すごく好きな言葉なので、作家さんお願いをして指輪に言葉を刻んでいただいて毎日着けています。
今思うこと、皆さんへ
今この文章を読んでくださっている方の中には、色んな大きな壁が目の前に立ちそびえていて、一生懸命登ってもずるずると落ちてしまう。
そんな状況の方もいらっしゃるかもしれません。人生は悲しいことに一筋縄ではいきませんし、山も谷も必ずあるといっても過言ではないと思います。
もしも長いロープを持っていれば簡単に頂点に辿り着くことが出来るかもしれません。しかし残念ながら、私たちはそれを持ち合わせて生まれてきてはいません。
こんな私ですが、皆さんに「It is okay to not be okay!」と伝えさせてください。
雨が降ったあとの空に綺麗な虹がかかることがあるように、今土砂降りの雨に遭っていて大変な思いや辛い思いをしていてもきっと、その先の景色には皆さんにとっての虹が必ずかかります。人生はプラマイゼロらしいですよ、信じるのはあなた次第。そして無理せずに休めるうちに休んでくださいね、休む体力があるうちに☺︎
ユニークでエクストラオーディナリー
私の話に戻りますが、6か月前、目の前にあったはずのすっと真っ直ぐ延びるレールには、行き止まりの看板が立っていて進めないと知りました。
でも右や左には看板の無い広い大地がありました。その大地をよく観察してみると、誰の足跡もなく踏み固められてもいない。真っ新でした。どう歩いたらよいか迷ってしまいます。
もしかしたらカラカラに乾いていて歩きやすい所もあるかもしれないし、沼や水溜りに遭遇してはまってしまうかもしれない。何が迎え入れるのか全く分からなくて不安だけど、楽しみもある。
これからは曲がったり、たまに真っ直ぐだったり、くるっと円を描くようになって歩いたりすることだってあり得るけれど
いつか軌跡を振り返ったとき私の目に入る景色はきっと、私が、私自身が、自分の力で創りあげた uniqueでextraordinary な道になっているはず!
お花とか観葉植物とか野菜も植えてみようかな~、トマトが育ったらそこら辺に座って齧ろう。絶対美味しいやつ。
そんなことを思いながら今も息をして生きています。
こうして書き下ろしているうちに、文字数が5600を超えました。
なんかまとまりがない気がするし、もう締め方が分かりません。
ここまで読んでくださった皆さま、長文かつ駄文で大変失礼いたしました。
今回も私の思考の一部を覗いてくださりありがとうございました!とても嬉しいです!
またテーマが思い浮かんだら文章にしますね~ん。
私の辛い時期を知っている皆様へ
最後に、今私がこうして文章を書いていられるのはどんな時でも離れず放っておかずに一緒に涙を流して支えてくれた世界一素敵で世界一愛している家族、連絡をくれて心配してくれて「いつでも話聞くからね」と優しい言葉をたくさんくれた大切で大好きな友人の皆んな、たくさん相談に乗ってくださっている会社の保健師さん、そして辛い状況にいる私に手を差し伸べて救ってくださった病院関係者の皆さまのお陰です。
本当にありがとうございますという言葉では、この思いは伝えきれません。
心の奥底から感謝しています。私が今生きられているのは、皆さまがそばにいてくれたからです。
いつか、何らかの形で絶対に恩返しをさせてください。
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