大人も、たまにはブランコに乗ろう
子どもの頃、ブランコが大好きだった。
保育園の近くの貝田公園のブランコを、飽きもせずこぎ続けた。
公園で1人でいても、ブランコの上では笑顔だったんだと思う。
後ろに振れて、下りはじめたら、腕とお腹に力を込める。
ぐん、とブランコが加速する。
次の瞬間、重さが消えて、視界いっぱいが空になる。
そう、ブランコは「物理の法則」も教えてくれた。
体を放り出すように勢いよくこげば、束の間の無重力を楽しめる。
水平以上に揺れて鎖が緩んだら、「がちゃん!」としっぺ返しを食らう。
「靴飛ばし」はスピードと発射角の絶妙な組み合わせが命だ。
靴をつま先にひっかけて「ダブルブラブラ」が決まると、ケンケン飛びで取りに行くのが大変なほど、靴は遠くまで飛んで行った。
2人遊びのお気に入りは「石取り」だった。
それぞれブランコの周りに陣地を描く。ブランコの上から手を伸ばしてギリギリ届くか届かない、畳5枚分ほどの広さの陣地だ。
手ごろな大きさの石をみつけてゲーム開始。
先攻がブランコを揺らして身を乗り出し、石を投げて相手の陣地に置く。
取りにくい隅を狙うけど、陣地からはみ出たら即、失点だ。
後攻が取れなければ先攻に1点入る。石を拾えれば攻守交替だ。
超隅っこに石を置かれたら、アクロバットの出番だ。
ブランコの板に膝裏でぶら下がり、手は体と反対の鎖の根元を握り、枝を渡る猿のように、全身をしなやかに使って腕を伸ばす。
ギリギリで石を拾うと、相手が声を上げ、サーカスのスターの気分になる。
そう、ブランコといえば、サーカスだ。
保育園のころ、母が伏見の白川公園にやってきた「木下大サーカス」に連れて行ってくれた。
とんでもない高さから垂れ下がった、とんでもない長さのロープの先に棒が取り付けられた2つの空中ブランコ。宙を舞ってブランコからブランコに飛び移り、数人のコンビネーションでアクロバットを決める離れ業。
木登りが得意で高い所が好きな子どもには、それは最高にかっこよく、最高に面白そうな仕事に見えた。
「ブランコにも乗れない大人」
大人は普段、ブランコに乗らない。
『マスターキートン』の「アレクセイエフからの伝言」はスペインの離島を舞台とした一篇。
初老の男センデルは、スペイン内戦時代に遡る因縁を晴らすため、爆弾を仕掛けたスーツケースを肌身離さず持ち歩く。
楽しそうにブランコに乗るキートンと邂逅し、センデルは復讐の虚しさを悟る。
印象深いのは、センデルのこんなセリフだ。
「人目を気にして、ブランコにも乗れない不幸な大人なのに……」
ブランコが大好きだった娘
幸か不幸かは別にして、私は人目を気にしてブランコに乗れないタイプの人間ではない。
でも、ここ10年ほど、ブランコに乗る機会はなかった。
三姉妹がすっかり大きくなって、公園に行くこともなくなったからだ。三女も今年でもう中学二年生になった。
うちの娘たち、特に長女は小さい頃、ブランコが大好きだった。
大阪の江坂駅前や江戸川区のあちこちの公園で、長女を乗せてはブランコを揺らした。
子どもとのブランコ遊びは、自分で乗るのと違った楽しさがある。
娘の笑い声と「もっと!もっと!」とせがむ声が響く。
「それ!」と力をこめて揺れ幅を大きくするのを、奥さんはちょっと心配そうに見ていた。
子どもが自力で揺らせるようになると、私も隣で一緒にブランコに乗った。
マネしちゃダメ、とクギを刺して、「飛び降り」もやってみせた。
昔は大ジャンプを決めて、ブランコを囲む柵に飛び乗ったものだ。
さすがに丸い鉄パイプの上でバランスをとる自信も勇気をなくしていたけど、楽しかった。
視界いっぱいの空
先日、近所の公園を探検して、すごい遊具に出会った。
久しぶりのすべり台は、タイムマシンのように、私の心を40年前に連れていってくれた。
今日は、少し暑さが和らいだ時間を見計らって、同じ公園に行った。
この前乗り損ねたブランコに乗ってみた。
風を切って揺れるのは、気持ちよかった。
童心にかえるとか、そんな気取った話じゃなくて、ブランコは楽しい。
ちょっとでいいから、見かけたら、身を任せてみてはどうだろうか。
こんな空が見えますよ。
(画像引用元 『マスターキートン』勝鹿北星・作、浦沢直樹・画)
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