セレブ亀の恩返し③
やばい、この人、、逃げないと。
N氏は甥っ子の手を強く握りしめた。
「いいかい、お兄さん、そして少年。アキレスと亀という寓話を知っているでしょう」
黒いGジャンの男は何やら語りはじめた。
「え?はい、聞いたことあります、、」
N氏は震える声で、返事した。甥っ子は案外平気そうに、パンを食べつづけている。
もう、怒ってないのかな、、?
「アキレスは亀に追いつけない。パラドックスのようですが、どこがおかしいかわかりますか?」
「全然、、わかりません、、」
男は黒いGジャンの胸ポケットから、白いチョークをとりだし、しゃがみこんで、アスファルトに何やら書き込んでいた。
「アキレスが秒速1メートル、カメが秒速0.1メートルとします。すると普通なら2秒で追いつきますね?」
はあ、
「あれは、要するにアキレスが亀に追いつく、その直前までは亀に決して追いつけないということですね、その間を無限分割しているのです」
しばらくするとたちがあって、数式を示した。
「数学的に言うと、アキレスが亀に到達するまでにかかる時間の級数が、その極限で収束するので、追いつきます」
「わかりました、、、ありがとうございました」
意味の分からないままに、N氏は、頭を下げる。
――要はちょっと頭のネジの外れた人なんだ、この池にはしばらく近づかないでおこう。
ただひとつ、気になるのは、、
「なぜそこまで、そのパンをカメにあげることにこだわるんですか、、」
頭を上げたN氏は口をつぐんだ。独り言のように尋ねてしまった。
すると、男は、N氏をじっと見た。
思わず、甥っ子の手を握りしめる、じっとりと、自身の手に冷や汗をかいているのが、わかった。
〈続く〉