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変人と普通の境界線
子供のころは、色々な変わった子供に会ったものだ。彼らを宇宙人のようだとぼくは思った。
小学校低学年の頃、ぼくが自販機に、小銭を入れてたら、横から子供がボタンを押して、ぼくの買いたくもないジュースのボタンを勝手に押す、みたいなヤツがいた。
それで、それを奪うわけでもなく、ぼくの顔を見るみたいな。
わからないけど、ジュースを飲みたいけど、頼みかたも分からないし、カツアゲするだけの悪度胸もない。みたいな感じだろうか。
それとも単純にぼくの反応を面白がっていたのだろうか。
そういうよくわからない子供は無数にいた。
まあ、ぼくも、変わった子供のひとりだったのかもしれない。失礼極まりないことでも、「事実じゃん」みたいなことを平気で宣告する子供だった。
でも、子供ってそういう風に残酷なものかもしれない。
話は変わり、社会人になってから、友人になった方。Iくんと言う人。
学生の頃引きこもってました、今はふつうに働いてます、みたいなひとだ。学生の頃のあるあるネタが通じない。
「分からない、俺学校行ってなかったから」という具合に。
でも、それは面白いと思うし、ぼくは個人的にはその返しはツボだ。
あと、彼は株でも割と稼いでいるようだ。
コミュニケーションの質が子供の頃のぼくに、似通った部分があるな、と思う。もちろん、Iくんを面白いと思うし、尊敬しているから、交流させて頂いているのだが。
Iくんと会話していると、ぼくの話のなかに誤謬があると、ものすごい勢いでツッコんでくる。
ぼくは、笑いながら「Iくん、ツッコミどころがシャープっすねー」とか言う。
たぶん、彼は頭が良すぎて、条件反射的な身体の反応を抑えられないのではないか、と思う。
ぼくは、Iくんが、たぶん、変わっているのだと思うが、人としては好きなのだ。
逆に、「この人、変わっているな。人としても嫌いだな」というパターンもある。
それが、小学校高学年の頃の同級生、Yくんという子だ。
鬼ごっこで、鬼になると、座り込むという感じで、やる気がなかった。で、家ではずっとゲームをしていたようだ。
小学校のガキ大将のMくんという子がいて、溌剌な感じだった。ぼくは、その子と漫才したりして遊んでいた。しかしMくんは、中学生になると身長の伸びが止まり、急に老け込んで、存在感が薄れた。
とりあえず、小学生の頃のYくんとMくんに話を限定すると、
Yくんは、ぼくといるときは普通だが、Mくんといるときだけ、Mくんの前でぼくをディスりだす。
まあ、ぼくは、そういう役回り、言われ役なんだろうなと、思った。
しかし、放課後も同級生たちと遊ばず、家でゲームしているだけのYくんの知らぬ存ぜぬところで、厳としてヒエラルキーは固まっているのだが。彼としては、接しているのが、ぼくだけなので、ぼくにマウントをとるとなんか気持ち良かったのだと思う。
で、Yくんは転校した。
で、10年くらい経って、ぼくが、大学の夏休みか何かで、実家に帰っているときに、門柱のところに老け込んだおばちゃんが立っていた。
ぼくが、ポストに郵便物を取りに行こうとして、そのときに気づいたので、ずっと立ってたのだろうと思う。
「あ、どうしましたか?」
ぼくは、母の友人か何かかと思い、玄関に向かった。
「あ、待って!わたし!Yのお母さん!」
おばちゃんは、メモをぼくに渡した。
「Yと友達になってあげて!」
ぼくが、ちょっとびっくりして、ああ、と言ったら、そそくさと帰っていった。
メモには、電話番号が書かれていた。
さっそく電話して、Yくんと駅で、待ち合わせした。
すると、大人になったYくんはすっかりハゲていた。
まだ20代前半の話だ。
〈続く〉