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3歳で中国の私立幼稚園入園「4ヶ月で日本語から中国語への言語の置き換えが始まる」

【日中バイリンガル育児の記録】日本のこども園に1年半通って日本語を母語とする娘が3歳半で中国のローカル幼稚園に入り、中国語環境に浸り始めてから4ヶ月間の言語習得の過程を記録したものです。

1ヶ月目:混乱・無言期

中国の幼稚園では3歳の小班、4歳中班、5歳大班、6歳学前班という構成で、新学期は9月始まりです。中国到着時3歳半になっていた娘は、中班に入ることになりました。

最初の1週間は、単に遊びに来ているだけと思い込んでいた娘。
嬉しそうに私に手を振って登園し、お迎えに行くと「幼稚園楽しかった〜!」と言って帰ってきました。給食もパクパク食べてお代わりまでもしていたそうで。

母は驚き、そして安心したのもつかの間、週末を挟んで次の月曜日。

「まだ幼稚園いくの?もう全部行ったから行かない。」と言いました。
「全部行ったってどういうこと?」

彼女は、こんな言葉も食べ物も違う場所にまさか引っ越してきたとは理解しておらず、ちょっと遊びに来ているだけだと思っていたのです…。

2週目から、朝登園を嫌がって泣くようになりました。

そのため普通は園舎の前でバイバイして子どもたちは自分で階段を登ってそれぞれの教室に行くのですが、泣いている子は親が教室まで連れて行ってもいいと言われたので2階の教室まで連れて行くようになりました。

最初の頃は中国人の子どもでも泣いたり嫌がったりしている子もいて、一緒に教室まで上がる親が複数いました。

園では先生もお友達もとても可愛がってくれて、早速娘を気に入って一緒に遊んでくれるお友達もできたようですが、娘の方は言葉が分からないからか、戸惑いの表情が多く、無言だったそうです。

仕方ないよね。

1ヶ月目は娘は状況を理解しようと3歳なりに頭をフル回転させていたのではと推測します。

そして週に3回指定の運動服を来てくるように言われていたのですが、
なぜかそれを嫌がる。こんな囚人服みたいなやつだからなのか?彼女の美的センスに合わない・・・?

嫌がるときは自分の服を着せて登園させましたが、他の子も運動服を着ていない子どもは結構多かったです。

2ヶ月目:慣れ始める 聞き取りができるようになる

10月になってすぐに国慶節で1週間のお休みがありました。母子二人で成都へ旅行に行きました。

娘はほぼ毎日「幼稚園まだ行くの?」と夜に聞いていたのですが、連休が始まって飛行機で別の場所へ移動するとそれを言わなくなり、普通に旅行を楽しんで帰宅。

「明日からまた幼稚園行くんだよ」
「え〜、まだ行くの?」
とは言うものの、驚いたことに休み明けからピタリと泣かなくなりました。

まだ「一緒に教室に来て」と私の手を放しませんでしたが、それまでのように涙を流して私の方に両手を伸ばしながら別れる、という辛い別れではなく教室に着くともう私の方は見ずに前を向いて自分で入っていき、先生が「ママにバイバイは?」とというと、泣かずにバイバイしてくれるようになりました。

連休が終わってもまたここに来たことで、彼女は「私は毎日ここに通うんだ」と決意が芽生えたようです。

そしてお迎えの時に時々先生から様子を聞くのですが、「こっちが言ってることは大体わかってるようですよ」と言われました。

列に並ぶ、手を洗う、あっちへ行く、など先生の言葉を聞いて、お友達の真似をして行動をしているとのことでした。

まだ中国語を自分からは発しないものの、トイレに行きたいなど意思を伝えたい時はズボンを脱いでお尻を見せたり、ジェスチャーをして伝えてくれる、と先生は言いました。

「この子は賢いね〜!」と先生方は絶賛してくれ、そしてなぜか他のクラス、学年の先生たちも外国人の私たちのことを知っていて話しかけてくれたり、この園でただ一人の外国人親子、そして園の歴史の中で初めての日本人ということですっかり有名人になっていました。

2ヶ月目に入って娘は先生がいう言葉の意味を大体理解できるようになってきたことと、「ここが私の居場所」と覚悟を決めたようで泣かずに登園するようになったのだな、と思いました。

お迎えの時に15分から30分くらい園庭でみんな親の見守りの元に遊ぶのですが、同じクラスのお友達が何人も娘の名前を呼んで近づいてきて、いつの間にか一緒に走っていたり、仲良くできているようで安心する時間でもありました。

まだ3歳ではコミュニケーションを言葉に頼っておらず、ほとんど会話などはなくただ一緒に走る、一緒に階段を降りる、そんなことで子どもたちはとても楽しそうです。

中国人のお友達はみんな娘の名前を覚えてフルネームで呼びますが、娘はまだ呼ばないよな、と思っていたのが、10月の終わり頃急に仲良しの男の子の名前を呼んでびっくりしました。

その子のママに「合ってる?」と聞くと「合ってるよ。ちょっと前から呼んでたよ。」と言われ、逆に私の方が名前を音で聞いてなかなか漢字が浮かばないので、あとで名簿で確認したりして、でもとてもうれしかったです。

ちなみに中国人はフルネームで相手を呼びます。日本のように「リリィちゃん」ではなく「ようリリィ」。そこに「ちゃん」や「くん」のような敬称はありません。さっぱりしていていいですよね。

余談ですが、私が中国の師範大学に留学していた時、私は本名も漢字3文字で姓が1文字の中国式の名前なのですが、先生が日本人は姓が2文字だという思い込みをしていて最初変な区切りで呼ばれていました。

3ヶ月目:急速上達期

11月になると、自分で中国語を発するようになりました。それが今までストックしていたものが噴出するように一気に!

これは母語の時と同じです。母語の場合2歳過ぎまでひたすら聞いて脳にストックして女の子なら2歳半ごろから急に喋り出します。

それの短期合宿バージョンというように2ヶ月間ひたすら聞いてストックし、3ヶ月目にアウトプットの波が来たようです。

その頃娘は家でも毎日中国語のアニメを見て、ipadの幼児向け中国語学習アプリで楽しそうに勉強していました。色の名前や形を言って正解!みたいなアプリです。(現在すでに削除されているアプリです)

来た当初、少しでも娘が早く中国語を覚えてくれたら、とこのアプリをやらせようとしていた時にはあまり乗り気じゃなかったのですが、この頃には自分からやりたいと言うようになり、中国語が分かることが楽しいことになっていました。

多分幼稚園でも色や形の名前を覚えるというのをやっていたので、娘はアプリで復習していたんでしょう。

おはようなどの挨拶はもちろん、幼稚園で歌っている歌も口ずさんでいるし、1から20くらいの数字も言えるようになっていました。お迎えの時にはお友達に「走吧!」(行こう)「 过来!」(こっち来て)などの声かけもしていて、とてもうれしかったです。

11月下旬に私の同僚のアメリカ人が主催したThanks Giving Party (感謝祭のパーティー)があったのですが、その時集まった同僚のアメリカ人と中国人たちがみんな一様に娘の中国語の上達に驚いていました。

4ヶ月目:中国語が第二言語として確立しかかる。聞き取りはほぼOK,短文発話量産

12月になれば彼女は物怖じせず中国人と話せるようになっていました。

通りすがりの人やお店の人が決まって「何歳?」と聞いてくるのですが、それまでは聞き取れても指で示していたのが、言葉で「4歳」と言えるようになっていました。

レストランでも暇にしている店員さんのところへ行って抱っこしてもらっていたり、本来の娘の社交性が発揮されるようになっていました。

娘は赤ちゃんの頃からどこに行っても店員さんに抱っこされたり遊んでもらったり、なぜかすぐに知らない人と仲良くなる習性のある、人見知りとは無縁の子どもだったのですが、中国でもようやくそれが戻ってきたのが、3ヶ月すぎてからです。

公園で遊んでいてもよその子供に何か話したり、彼女にとって中国語を使うことが日常の一部になったように感じました。

もちろんまだ長い文章にはできません。2語文メインの段階です。物の名前はだいぶ語彙量が増えたな、と感じました。

色や果物の名前、それから感心したのは幼稚園の先生とクラスメイト30人くらいの名前を全部言えるようになっていたことです。

先生が園の様子を動画で見せてくれたりするのですが、娘に熱心に一人一人指差しながら名前をリピートさせている様子が映っていました。

一人言葉の分からない娘に特別に手をかけて指導をしてくれていたようで、先生方には感謝しかありません。

それから幼稚園で習う歌をずっと歌っていました。手洗いの歌から、愛国の歌まで・・・

中国らしいのは、幼稚園の子どもたちにも「伟大的毛主席」偉大なる毛沢東主席、という類の愛国の歌を歌わせるところ。

1月に帰国した当初娘はこの天安門の歌をずっと歌っていて、外出先でも大声で歌うので(完全に中国から来た親子と思われてんな・・)と思いました。
その後中国でコロナ騒動が幕を切ったのでちょっと冷や冷やしました。

それはさておき、やはり子どもは言語習得がものすごく早く、子どもの言語発達には家庭よりも幼稚園や学校などの公の教育環境が大きな影響を与えることが我が子で証明されました。

このまま行けば、半年でおそらくコミュニケーションに問題はなくなっていただろう、と思われます。

それがコロナで想定外になりましたがそれはまた別の記事で。


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異国暮らしのリリィ
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