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十人十色の世界

昨日は発達障害のことで
福祉関係の人と、面談だった。

私は26歳の時にアスペルガー、ADHDの注意欠陥優勢型、学習障害。
それらを併せ持つ、複合型の発達障害。
つまり、自閉症スペクトラムと診断された。

何か、できないことの壁にぶち当たると
「やればできる」
その時、発達障害がどうのと言おうもんなら
「障害を言い訳にするな」
とか
「それがなんだ。みんな同じ人間なんだから、できないはずない」
とか、言われる時がある。
相手に悪気はないことは分かってる。
分かってるけど、そういうことじゃない。

障害を言い訳にするとか、しないとか。
それがなんだとか、そういうことじゃない。

やればできるのかもしれない。
頑張れば、なんとかなるのかもしれない。
試してみる価値はあるかもしれない。
でも、それって楽しくない。
幸せでもない。
それに、できなかった時、自信をなくす。

「やればできる」
楽しくないし、幸せじゃないのにできるまで続けなきゃいけないなんて、拷問だ。
そんな拷問を受けたくない。

でも、それは分かってもらえない。
普通の人には分かってもらえない。
でも、そういう分かってくれない人たちは意外と30代の同年代で
「楽しくないのに、続けても意味ないから、無理しなくていい。楽しく続けられるなら、頑張ってみたら?」
って言ってくれるのは50代ぐらいのちょっと、人生の先輩だったりする。

「発達障害」っていう言葉だけが独り歩きしてるのも感じるけど
30代の同年代は病気や、いろんなことで自分の人生が、思い通りにならないという経験をあまり、したことがないのかもしれない。

色んな本に
「ADHDはこういう障害です」
って書いてあったとしても
必ずしも、その教科書通りかと言われたら、そういうわけじゃない。

症状や、困り事はまさに十人十色。
その人によって、違う。

どういう障害かより、それを分かって欲しいのに
分かってもらえない。

そういう時、壁を感じるし
まるで川があるみたい。
壁のこちら側と、あちら側。
川岸のこちら側と、向こう側。
どうやっても、越えられないもの。
どうやっても、渡れないもの。

自分にはどうやっても、できないことがある。
できたとしても、人より、時間がかかる。
でも、そういうことよりも、分かって欲しいのに分かってもらえない時の方が、疎外感や孤独感を感じる。

人と話してる時、それを感じたら、私はその人に背を向ける。
できないかもしれないのに
楽しくないし、幸せじゃないことをできるまで続けたくない。

分かり合えたと思ってた人が、実は向こう側の人だって気付いた時、悲しくなる。
でも、それは誰も悪くない。

悲しくて
寂しくて
孤独で
疎外感で、窒息する。

だから、知っておいて欲しい。
障害があるからとか
どんな障害かとか
そういうことじゃなく
まさに十人十色で
その人の色があるってこと。
それを知っておいて欲しい。

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