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【インサイト】「無意識の代弁者」というおせっかい
「君がやろうとしてることってさ、例えるなら、裸足で駆け回っていることが当たり前のアフリカとかの国の人に靴を与えるみたいなもんでしょ?それってつまり、ただのおせっかいじゃない?」
今、仕事とは別で、生きづらさを感じる子どもに対してどんなサービスが提供できるかをリサーチしています。
以前、職場近くの不登校支援をしている団体さんへ話を聞きに行きました。
そこで、私は
「なんとなく生きづらい子って、なにがしんどいとか、じゃあ自分はどんなことを求めているのか、正直わからないと思うんです。だからこそ、目に見えていない潜在欲求を掬い取りたいんです、声なき声に光を当てたいんです」
と、自分の想いを赤裸々に話しました。
そのとき、その団体の方から言われたのが冒頭部分でした。
「本人が自覚してないってことは、必要かどうかわからないものを、君の憶測で勝手に提供するってことやんね?それって、本当にその人の幸せにつながるん?」
学生時代から、主観的な情報発信や支援について、他の人よりも敏感に感じていた私です。
自分の眼からみた世界と、他者の感覚は180°違う可能性がある。
私から見たら「希望」でも、彼らにとって「絶望」であるかもしれない。
そんなことをずっと考えていたからこそ、心に深くその言葉が刺さり、動けなくなってしまいました。
私は、どこまでも人に寄り添うことはできないのだろうか。エゴでおせっかいなのは、いけないことなのか。果たして、私はこの世界で何ができるのだろう。
あれから随分時間が経ったけれど、今でも心のどこかで引っかかっていて、ときどきキュッと締め付けられるような感覚になります。
モヤモヤを抱えたまま一年が経った頃、一冊の本と出会いました。
「欲しい」の本質〜人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方〜
その帯の言葉に吸い込まれ、気が付けばレジの前に立っていました。
人は、自分が欲しいものを説明できない
我々が意識して行動できるのはほんの5%で
残りの95%は意識の水面下にある無意識であるらしい。
本人も気づいていない欲求のスイッチ=インサイト
である。と。
なるほど、つまり「おせっかい」は「インサイトにアプローチすること」であり、
私は「無意識の代弁者」になり得るわけである。
この本では、具体的に無意識を“見える化”する方法が論じられているのですが、
まず、私は「おせっかいでもいいのかもしれない」という確証を得ることができた。
ここで重要なのは「おせっかい」と「ありがた迷惑」の境界を知ることだと思います。
前者は世界をハッピーにする可能性がある一方、後者はエゴに近しい。
その辺りを見極めながら、人と向き合い、「ていねいにおせっかい」することを心掛けたいものです。
今回は、インサイトというものの定義についてしか言及しませんでしたが、じゃあ具体的にインサイトを探るには?というところを今後、この著書に沿って深く考察するかもしれません。
まずは、「無意識の代弁者」になるべく、人とていねいに向き合うことから始めてみましょう。