永遠に、生き続けられるよ。
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言葉を紡ぐことの難しさをまざまざと感じている、黒木りりあです。
現地時間2024年10月16日、推しの一人が亡くなりました。
その日、LINEを開いてすぐにその文字が瞳に飛び込んできたとき、頭の中が真っ白になりました。その文字の意味が、最初はよく分かりませんでした。その文字を、現実のこととして受け入れることができませんでした。
正直なところ、いまだに受け入れられていないと思います。いまだに実感が湧きません。でも、どこかで現実だと受け入れている自分もいるような気がします。
こんな気持ちで、言葉を公に紡ぐべきではない、と思う自分もいます。
けれども、何も言わないのも違う気がしていて。noteは自分の気持ちをありのままに紡げるはずの場所だから。そして、今はこのことしか書けないから。なので、今日はまだ整理できていないぐちゃぐちゃな心境のままですが、素直に感じたことなどを綴っていきたいと思います。
「UKのワン・ダイレクション(One Direction)というグループが爆発的な人気を誇っている」そう知ったのは、大学受験に励んでいた頃合いでした。受験勉強で詳しくは終えなかったけれども、合間に音楽をちょこちょこ聴いて、とてもいいグループだと思っていました。大学に合格してからも、入学してからも彼らの音楽を繰り返し聴いていて、好きなアーティストとして挙げていたほどでした。
憧れだったUKに初めて降り立った日は、ロンドンオリンピックの閉会式の日でした。その閉会式でワン・ダイレクションは見事なパフォーマンスを披露し、それまでも高かった知名度と評価を世界レベルでぐんと突き上げさせたと思います。翌日の現地の報道番組でも、彼らのパフォーマンスが報じられているのを何度も見ました。私がUKで初めて見たニュースは、彼らのパフォーマンスでした。
現地での彼らの人気には、圧倒されました。日本での正式デビューは他国よりも遅く、閉会式の直前でした。そのため、日本で彼らの人気を肌で体感する機会はほとんどありませんでした。そのせいか、現地で毎日目にする彼らの名前や姿がとても強烈に印象に残っています。けれども、当時の私はまだまだにわかの部類でした。
現地の女の子と会話をした際に、「どのメンバーが一番好きか」と問いかけられ、そういえば私は個々のメンバーの顔と名前をはっきりと把握していないことに気が付きました。ファンだと言っておきながら、なんなんだそれは、と自分にツッコミを入れつつ、なんとなく頭に浮かんだのは、彼の存在でした。
日本に帰国してから、私はワン・ダイレクションについて改めて詳しく調べることにしました。彼らについて知れば知るほど、グループだけではなく個々に対する認識の解像度が上がっていきました。そして、やはりあの彼の存在が私の中に強く残ったのです。同い年なのに、「Daddy Direction」と呼ばれるほどに真面目でしっかりものな、才能とユーモアにあふれる彼が。
あの時、彼は私の推しになりました。
当時のワン・ダイレクションはまさに激動のど真ん中にいました。世界中で売れるアーティストはそれまでにもたくさん存在していました。けれども、インターネットが当たり前となった社会で、世界で「同時に」売れたアーティストは、彼らが一番最初だったのだと思います。まさにクレイジーとしか言いようのない日々だったと思います。
結成から約6年、デビューから約5年の間に、彼らは5枚のアルバムをリリースし、5つのツアーを周りました。常に世界中を飛び回りながら、常に音楽を作り続け、常にパフォーマンスを続けていました。誰がどう考えてもあり得ない状況でしたし、どうしてそれが可能だったのか、今でもよく分かりません。しかし、彼らにはそれだけの需要があり、求めに応じて彼らは最大限以上のものを世界中に提供したのだと思います。
それを一生続けられるわけではないことを一番理解していたのは彼らで、当時からそれを何度も口にしていました。
そして2016年、活動メンバーが4人となったワン・ダイレクションは、正式な活動休止へと至りました。
今回の訃報に際して、彼を「元ワン・ダイレクションのメンバー」と表現しているのを国内外で多く見かけますが、これには疑問を抱いています。解散した、と書いているものも見かけます。彼は活動休止中のグループの現役のメンバーなのに、と。
こうして、ソロのアーティストとしての彼の旅が始まりました。彼の曲はどれもじわじわと頭に入ってきて、耳から離れなくなるものが多かったと思います。どの曲もとても好きだったし、たくさん楽しませてもらいました。特に、コロナ禍というつらい時期のワークアウトには彼の曲たちに大変お世話になりました。
グループ活動の経歴があり、活動休止中という状況なために、他のメンバーと比較されるのは仕方がないのかもしれません。ワン・ダイレクションの素晴らしいところは、ソロとしてのキャリアにおいてもそれぞれが異なる音楽を届けて人々を楽しませていたところだと思います。全員が違う音楽で、異なる指標でヒットしていた。すごいことだと思います。
けれども、人は時に非情で、インターネットは時にその側面を際立たせます。なぜ彼ばかりが長きに渡ってあのような言葉を投げつけられ続けなければならなかったのか。私には理解ができません。そのようなコメントを見るたびに、心を痛めてきました。
そして、メディアの報じ方にも心を痛めることが多々あります。存命中だけではなく死後においても彼の尊厳を貶める行為を、許すことができません。偶然目に入った写真が、私をひどく苦しめています。
需要があるところには、うまみがあり、悪い人も寄って来てしまうのでしょう。そうして、ただ純粋な夢を追いかける人が搾取されていく。
健康のためにお酒を飲みたくない。そう言っていた彼を、何が変えてしまったのでしょうか。誰が変えてしまったのでしょうか。思いを馳せるたびにただただ胸が痛みます。
どうすれば救えたのか。どうして誰も彼を救えなかったのか。
どうして彼の人生はこのような形で幕を閉じざるを得なかったのか。
誰も何もできなかったのか。私に何かできることはあったのだろうか。
私はいったい、どうすれば良かったのだろうか。
そんな考えが、彼の歌声と共にぐるぐると頭を回っています。
ずっと、彼が苦しんでいたのを知っていたから。
ずっと、彼が苦しんでいるのを見てきたから。
やりたくないことをやっていると、彼が言っていたから……。
直接の知り合いというわけでもないのに、不思議な感覚ではありますが、それがインターネット時代を生きるということなのでしょう。
彼のすべてを肯定するつもりはありません。彼のすべてを知っているわけでもありません。それでも、私はずっと彼のファンだったし、今もこれからも何があっても彼のファンでい続けます。彼の存在は、私にとってとても大切です。
彼の歌声や音楽の才能、抜群のパフォーマンスセンスはもちろん、彼のハンサムな笑顔も、テディベアのように腕を広げてハグをする仕草も、早口な話し方も、独特のアクセントも、率直な物言いも、真面目さも、不真面目さも、ユーモアのセンスも、古臭いおやじギャグも、ちょっと抜けているところも、ヘアメイクさんに髪の毛を切られ過ぎてどんどん髪が短くなっていってしまうところも、バットマングッズを集めすぎていたところも、ハリポタ好きすぎてフォードアングリアを購入してしまうところも、庭にハグリッドの小屋を作ってしまうところも、それを隠してキャストとお近づきになってしまうところも、USJで進撃の巨人と写真を撮って興奮していたところも、自分のことよりもまず人のことばかり心配してしまうところも、誤解されがちなところも、自分の作る音楽への頑固なまでの信念も、タフなところも、弱いところも、ポロを頑張る姿も、他にもたくさんのところが大好きだし、もっと見ていたかったです。
彼のご両親、お姉さま方、息子くん、ワン・ダイレクションのメンバー、Directioners、彼を大切に思うすべての人々に愛と祈りを贈ります。
まだ気持ちがまとまっていないので、彼にサヨナラは言えません。
でも、これだけは確実に言えます。
Dearest Liam James Payne, you can live forever, in my heart.
(リアム・ジェームス・ペイン、私の心の中で、永遠に、生き続けられるよ。)
まとまりのない文章に最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。