女子校教育の賜物とは何か◇その4◇
私はおよそ6年毎に、人脈の再構成を余儀なくされてきました。
小学校入学前に引っ越しを経験し、引っ越した先の公立小学校で6年間を過ごし、そこからたったひとりで某女学院へ進学して中高6年間を過ごし、その後はまたたったひとりで某旧帝大の6年制学部に進学し……といった流れの中を歩んできたからです。
そんな中で、「ああこの人は一生の友人かもな」と思える友人に何人か出会いましたが、彼女達はすべて、女学院時代の友人です。
さて、前回から少し間が空いてしまいましたが、今回も「女子校教育の賜物とは何か」について書いていこうと思います。今回は “人との出会い” についてのお話です。
冒頭にも書きましたが、およそ6年毎に環境がガラリと変わる人生を歩んできた中で、相変わらず友人関係が続いている相手というのは、すべて女学院時代からの友人です。
念のために書いておくと、それ以外の時代に友人が全くできなかったというわけではありません。笑
引っ越し前にも、小学生時代にも、大学時代にも、それぞれの時々で友人には恵まれたのですが、卒業等で離れてしまったのを機に、だんだんと疎遠になってしまったのです。
そして、そういった相手を、果たして今でも “友人” と呼んでもいいものか、正直自信がないのです。
そんな中で、“今でも続いている、昔からの友人” となると、女学院時代の友人ばかりが残るのです。
6年間の女学院生活の中で、よく先生方がおっしゃっていたのが、
中学・高校時代の友人というのは、一生の宝物になるから、大事にしなさい
ということでした。
当時は全くピンと来ませんでしたが、今となってはその言葉どおりになりつつあるように感じます。
私の大好きな海外ドラマのひとつに、『Sex and the City』(以下、SATCと略)があります。
ニューヨークに住む30代女性4人の生活をコミカルに描いたドラマで、私が初めて観たのは、大学生になってからでした。
当時の私は、「大人になって、仕事はそれぞれ違っても、結婚してもしなくても、こうやって定期的に会って、本音で話せる友人っていいな」と強く思ったものです。
そして今、もし私がSATCごっこをやるとしたら、残りの3人は絶対に、女学院時代の友人達で構成するでしょう。(※SATCの4人は、学生時代の友人同士ではありませんが……。)
今となっては、住む場所も、職業も、結婚の有無も、みんなバラバラになってしまいましたが、それでも彼女達とは、定期的に会ったり電話したりするし、話していて気がラクなのです。(※私の場合、SATCの4人ほど高頻度で会ったり電話したりはしませんが……。)
これは結局、みんな似たような家庭環境で育っており(私立では公立ほどの家庭環境の多様性は見られません)、同じ環境の中で多感な時期を過ごしていることに起因するのだと思います。
要は、価値観が似ているのです。
更に、この話しやすさ、気楽さといったものは、同級生に対してだけではなく、先輩・後輩、先生方に対しても感じます。
前回も述べたとおり、女学院内にはカトリック的価値観というのが隅々まで行き届いているため、そこで育った生徒達だけでなく、先生方にも、同じような価値観が染みついています。
そしてそもそも、女性の先生方のうちの大半は、実は、女学院の卒業生だったりします。(俗に言う、純血度高めの状態)
つまり、女学院内で長い時間を過ごしてきた人からは、自分と同じ匂いがするのです。
高校を卒業した春、強烈に感じたことがひとつあって、それは、
あ、私、今、荒野に一人で放り出されたな。
ということでした。
ぬくぬくと過ごした6年間は終わり、次の章を進まなければならないけれど、“次の章” でもまた一から人脈を構成しなければならないし、そこはきっと、女学院みたいにぬくぬくとした環境ではないだろう、と直感的に思ったのです。
結局、その直感は見事に(?)当たり、その後結構苦労することになったのですが、そのせいもあってか、女学院時代の友人達のありがたみをますます痛感することとなりました。
本音の通じる友人というのは、意外とそんなに見つからず、結構貴重な存在なのです。
そしてそのような友人を得られたことは、紛れもなく、女学院時代の賜物です。
加えて、卒業後も女学院の先生方には可愛がっていただき、何度か卒業生講話の依頼を受けたり、たまにひょっこり近況報告に行ったりもしました。(昨今はなかなか行きづらいご時世で、顔を出せていませんが……。)
そして女学院に帰る度に、なんとも言えない居心地の良さを感じるのです。
少なくともここには、私の敵はいない。
私にとって、女学院というのは、今も昔もそういう場所です。
似たような価値観を持つ人が、たくさんいるのだから。私の価値観を肯定的に受け止めてくれる人が、たくさんいるのだから……。
そうした安息の地を見つけられたことも、賜物のひとつだと思います。
ちなみに、先ほど、私立では公立ほどの家庭環境の多様性は見られないとさらりと書きましたが、それが更に女子校で、宗教校で、となると、輪をかけてその多様性は小さくなる傾向が見られます。
そのため、受験の際の志望校選びというのはかなり重要で、学力面も然ることながら、校風が本人に合っているか、というのもしっかり見極めるべき重要事項でしょう。
校風が合っていれば、価値観の合う友人や先生方に恵まれる確率が、グンと上がるからです。
もちろん逆も然りで、校風が全く合わない場合、結構苦労する可能性があります。(私自身、大学・大学院時代がそうだったかなと思ったりもします。)
最近は、多様性の小ささは批判の対象にもなり得ますが、それと、自分の安息の地を見つけることは別問題で、
多様性を受け入れるためには、まずは自分自身を肯定的に受け入れられる、ホームとなる場所を見つけることから始めてもいいと、個人的には思うのです。
確かに、カトリックの女子校には、ある種の独特な価値観が随所に染み渡っていて、全く馴染みのない人からすると抵抗があるものかもしれません。
私はその価値観に共鳴できたため、「この6年間をぬくぬくと過ごさせてもらった」と思えていますが、仮に、真っ向から対立するような価値観を持っている場合には、他の学校に進学した方が幸せだろうと思います。
次回はそういった、“カトリックの女子校特有の価値観” について、更に詳しく書いていきながら、全体をまとめたいと思います。
◇あと少し、つづく◇