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自問自答日記⑤本心と周りの目、言動の根底にあるもの。

こんにちは。今回のトピックはすごく難しくてとても悩みました。正直今の自分に社会の目を気にしてチャレンジしないようにしていることなんてないと思いました。昔はあった気がするけど今はもうそんなことないと思いました。でも深堀りしていくと今も囚われている部分があり複雑な心境になりました。ぜひ皆さんも一緒に考えてくださったら嬉しいです。

あなたが今、社会の目を気にしてチャレンジしないようにしていることはどんなことですか?
また、過去のあなたにそのような経験はありませんか?

今日こそ自分を甘やかす

やりたくてもできていないこと

・仕事に全力投球をする
・ペットを飼う
・ガーデニングをする
・パートナーを見つける
・パーソナルカラー診断、骨格診断を受ける
・小説を書く
・レーシック
・肌治療
・歯医者、耳鼻科に行く
・温泉旅行巡り
・駅伝を応援しに行く
・副収入を作る

とりあえずぱっと思いつくことを挙げてみました。こうやって挙げてみると、やろうと思えば今すぐできることが多いですね。
できていないな~後回しにしているな~という内容はだいたい”自分のためになるけれどお金か時間がかかるもの”な気がします。とりあえずやってみてうまくいかなかった時を想像すると怖くて挑戦できない。もしくは、自分のためになるけれど、しなくても何とかなっているからわざわざお金をかけてまで今すぐしなくてもいいんじゃないの、と先送りしている。

こうして客観的にみると「自分を大切にしていない」「お金・時間>自分の優先順位」という印象を受けます。

過去にあった「やりたくでも周りの目を気にしてできなかったこと」

・授業で積極的に発言する
・異性の生徒と仲良くする
・好きな人に好きですと告白する
・好きなこと(趣味)を公言する
・ファッション雑誌を買う
・第二新卒で転職する
・恋人がいない時に「誰か紹介して」と言う
etc

最初は、こんな小さいことしか出てこないのか、、(笑)と思いました。でもこんな小さなことを気にして行動できなくて、今も記憶に残っているってことはすごく周りからどう見られるか・評価されるかを気にしていたことの現れだとも思いましたファッション雑誌を買うとか、そこにそんなハードル感じてたの?!みたいな方もいらっしゃいますよね(笑)ただ、当時は「あいつ頑張っててイタイ」と思われたくないという「努力=恥」みたいな認識がありました。
生来の頭の良さやスタイル・顔の良さ、センスの良さを持っていることが素晴らしくて全て。何も変わらない変えられないのに努力をするなんて無様だ、みたいな認識でした。
だから期末テスト前あるあるの「勉強した~?」という質問には「全然してない、やばい~」とか言っていたし(土日に各10時間勉強とかしている)、おしゃれや美容に興味があると思われるのが恥ずかしくてファッション雑誌を買うどころかスーパーの雑誌コーナーにも近づけなかったです。

なぜ努力=恥、という認識になってしまったのか記憶はないのですが、こうして振り返ると「周りの人たちは私にこう言ってほしいんだ」と想像して周りを安心させるために自分を矮小化させていたような気もします。
例えば、テスト前に「勉強した?」と聞いてくる人に「私今回めっちゃ勉強したから自信あるんだ!」という人は皆無で、私が「勉強してない」と返事をすると「嘘だ~」とか言いながらほっとした表情をしている(ように見えていた)。自分が勉強しきれていないから不安で、その不安を和らげるためにほかの人も同じだと確認するために聞いてきているんだ、と思い、事実ではなく相手の欲しい答えを提供していました。

なので、自分がやりたいことや興味があること、好きなことではなく「親や友達などの周囲に求められている答えを提供していくこと」「可愛がられるために相手より弱い自分でいること」が大事で「自分で自分の人生を作っていく、変えていく」「自分を出すこと」は考えられていませんでした。

今はやりたいことをやれているのか

最近は、以前のように「周りのために自分を小さく見せること」はしなくていいどころか、努力している方がいいんだと感じることが増えたので過去の行動できない理由になっていた「努力=恥」マインドは減ってきたと思います。
それにつられて最近は堂々とファッション雑誌を読み漁るし、趣味はスポーツ観戦とお酒造りと言えるし、健康管理・体形維持のためにヨガを始めたなんてことも言えるようになりました。特に「え、すご~い」とか言われそうなヨガは昔だったら絶対言わずに陰でこそこそやっていたと思うので変わったなあと思う部分です。

一方でまだ残っているなと思うのは「自分二の次マインド」です。最初にやりたいと思っているけどまだやっていないことたちを出していったとき、私って自分よりお金の方が大事なんだ。と感じました。
何のためのお金なの?という感じだし、お金のための人生は嫌だから仕事一辺倒や資本主義のゲームに参加するのは嫌だとか思っていたのに実際はお金のための人生送ってるじゃんと自分のダブルスタンダードに愕然ともしました。
改めて、自分を大切にできるようになっていくことが今私が悩んでいることを解決していく鍵になる一助にきっとなると認識しました。誰かのためやお金(そこから得られる安心)のために自分をないがしろにしながら「幸せになりたい」と思ってきた私は心のどこかで「誰かに幸せにしてほしい」と願ってきたのだと思います。私は私のことを大切にできない幸せにできないから、あなた私の代わりに私を大切にして幸せにしてね。代わりに私はあなたの思うように振る舞うから、と。
とっても他人軸で男女関係がうまくいかなさそうなマインドです。。
染みついたこの考え方を変えていくことに果てしなさを感じます。最初から自分軸で生きている人が心の底から羨ましいです。でも羨ましがっていても何も変わらないし、今回気づけたことでこれから変化できれば自分も夢見ていた幸せな恋愛ができると信じて歩みを止めないで生きたいと思います。

あ~。愛される幸せな女になりたい。自分軸インストールできないかな。

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