ギルドの歌詞解釈 /BUMP OF CHICKEN
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BUMPは、最近の曲も素晴らしいのですが、私はやっぱり初期のまだ若くて尖っていたころの楽曲たちが大好きです。
その中でも特別な光を放つこの曲【ギルド】を今回はご紹介したいと思います。
1.Aメロ〜
イントロもそこそこに始まったこの出だしで、心をわしづかみにされました。
この曲に出会った当時思春期真っ只中だった私には、人間存在を問うようなフレーズが深く胸に突き刺さったのです。
なにしろそれまで「歌といえば恋愛もの」というイメージだったのですから、なんだこの曲は?!と衝撃を受けたのも無理はありません。
このたった二行のフレーズから見えてくる「されてしまった」「しないといけない」感。
産み落とされてしまった。ちゃんと生きないといけない。
自分で選択したわけじゃないのに。
そんな人生への義務感にあふれています。
ある意味とても受動的、従属的と言えます。
なぜそんな風に思うようになったのでしょう?
小さなころは誰だって自由ですよね。
自分という人間が存在そのものを許され、愛され、だからこそ好きなように振る舞える。
何も疑問に思わないまま主体的に生きられます。
でもいつからでしょうか。
周囲と比較して自分の地位や立ち位置を決めたり、周りに気に入られるような振る舞いをしたりすることが板につくようになります。
楽しくないのにおどけて見せたり、本当はそんなこと思ってないのに友達につられて悪口を言ってしまって、ベッドの中で後悔したり。
なぜ何もないのに涙が出るんだろう。
自分で決めて、自分がそうしたいと思って振る舞ってきたはずなのに、自分で自分をがんじがらめにしている。疲れたからもうやめたい。
でも、ここからどう抜け出せばいいのかわからない。
2.サビ
ここで歌詞は俯瞰的になります。
あなた(自分)が人や社会から奪われたと思っているものはなに?
逆に知らず知らずのうちに周りの人から奪ってきたものもあるんじゃないの?
これ、私は「自由」、言い換えれば「人が本来持っているはずの選択」「まっさらな清らかさ」だと思ってます。
人は生活する中でどんどん摩耗します。
慣れとも言いますが、最初は感じていたはずの違和も、繰り返すうちにそれが当たり前になって気にも留めないようになるのです。
うまく生きようとして捨ててきたはずの自由、それを奪われたと勘違いし始めたのはいつからなのでしょう。
昔のように素直に純粋に生きられなくなった自分自身を「汚れてしまったな」と思うことはないでしょうか。
そしてそれを社会のせいにしたことはないでしょうか。こんなエゴにまみれた社会が悪いんだ、だから生きにくいんだ、と。
そういった内省的な問いに答えるためにも、ちゃんと自分自身とこの世界をしっかり見つめるべきだと作詞者は言っています。
ところで私は「気が狂うほどまともな日常」というフレーズが曲中で一番好きです。
「気が狂う」と「まとも」という対極にある言葉の使用が非常に皮肉的ですが、その実「日常」のもつ何か人間的でない不気味さという真理を現していると感じるからです。
目を開けば見えてくる“毎日ただ繰り返される、まともさを偽装した歪んだ日常”、その中で私達はどうやって生きていけばよいのでしょうか。
3.2番Aメロ〜
非常に手厳しいスタートですね…
厭世観でドヤっていた当時の私がバッサリ切り捨てられた感じです。
もうグサグサ刺されすぎて涙が出そうですが続けます。
「こんな嫌な世の中で生きるの、自分には向いていないんじゃないかな?」
人間という仕事をクビになった(=人生の落伍者)と自分を決めつけてすべてを諦めようとしてるけど、ちょっと待って。
本当に世の中と真剣に向き合ったといえるでしょうか?それは自分以外の人やものに関心を向けてしっかり対話して来た上での結論ですか?
悶々と葛藤していたのがここで一転、前に進むためのかすかな光を見出しました。
4.2番サビ
何度聴いてもここで泣いてしまいます。
自分自身の存在への問いです。本当は誰も、自分を、人生を諦めたくないなどないですよね。
一見厳しい言葉に見えますが、「あなたが辛さをちゃんと表現すれば、手を差し伸べてくれる人がきっといる。救いを求めることを諦めないでほしい。あなたの痛みを知りたい、助けになりたいと思っている人がきっといるのだから。」そんな藤くんの優しい想いまで伝わってくる気がします(ファン心理)
なんの喜びも感動もなく、一日がただ繰り返されてすぎていく、そんな毎日でほんとにいいの?
こんなこと言われたら一生ついていきます・・・じゃなくて、誰もが抱えているアンビバレントな苦しみをすべて許容してくれるこのフレーズの一撃。
ものすごいですね。
まるでラフメイカー(別曲)ですね。
「私」を肯定してくれる力強い言葉です。
あなたが何をやったって、この世界は簡単には変わらないし君の日々もそう大きく変化しない。
だけど、だからこそ受け入れて扉を開いてみようよ、というメッセージが込められていると私は感じました。
いかがでしたでしょうか。
(ファンということもあり途中少し興奮してしまいました)
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この曲、主観と客観を行ったり来たりしますよね。
そもそも一人称がありません。
私にはこの曲が、誰か個人が一人称の悩みを吐露しているというよりも、その最中にいる人の辛さに寄り添いながら優しく諭しているように思えるのです。