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母への思い

昔、信田さよ子先生の原宿カウンセリングセンターに通っていました。
半年くらいでしたが、
あの時はあの場所に通うことが私にとって必要でした。

安心して他者に自分の話が出来て、的確なアドバイスをいただける。
相手がどう思うとかの心配をしないで良い、
私を否定されることなく、
話を聞いてもらえる安全な場所でした。

あの頃、先生の「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」
という本を読んで、
墓守娘?!?!と衝撃を受けたのを覚えています。
同じように苦しんでる人がいるんだ!と驚き
私のこの苦しみに、こんないい名前をくれて
ありがとう、と思いました。

母からの「私の言うとおりにしていれば人生はうまくいく」
という、母の思い描いた私の人生から自由になりたくて、
裏でとんでもなく反発的な行動をして、私は人生を拗らせました。

言いなりになんかなるもんか、と強く思いながらも、
母を本気で傷つけたり困らせる勇気はなくて、
中途半端な反抗と、抵抗を繰り返し、文句ばっかり言ってました。
私がやっていたことは自傷行為に近いけど、
もっと性格の悪い感じというか、ひねくれていて、
ねじ曲がってて、気持ちが悪い感じ。
母が私に、社会的な良い人間になることを求めれば求めるほど、
悪い奴になりたいような気分になりました。
でも所詮中身がこんなだから、なりきれるわけもなく、
傷付きながら、生きることになるんですね。

今の主人と出会って、正直きついことはたくさんありました。
何せ言葉がきつくて、的確に刺しに来る感じ。

アダルトチルドレンを自覚したけれど、結局母から離れられず
うじうじしていた時に、母と私の関係を、
「気持ちわりぃな」と言い放たれ、
「結局お母さんがかわいそうなんだろ、一生やってろよ」
と言われたときに、
「絶対嫌だ!」って猛烈なエネルギーが自分の中から出てきて、
私が変わっていくために、この人が必要なのかもと、思いました。

墓守娘をあんなに拒絶していた私が、
自ら墓守娘になり、今は実家で母と父と主人と子供と暮らしています。

母に対して昔のように、母のせいで・・・なんて恨んだりすることも
一つもなくなりました。
ただの一つもありません。
過去のことすべてが、私が未熟であったゆえにと思えているし、
母も未熟であったからと受け入れられています。
そして、子供の頃は、母の苦しみを背負ってしまっていたけれど、
今の私は母の苦しみを、気持ちはわかるよって理解しているけれど
背負うことはありません。

人のせいにしなくなった


いろいろと理不尽さを感じる出来事も多い人生だったのですが、
なぜそうなのか、ということを
しっかりと知る為の学びを続けたことによって、
自分の人格を再度作り直していきました。
もちろんまだ道の途中ですが、
自分の成長を、自分で感じることが出来ています。
ああ、大人になったねって、
私に言ってあげられる。

カウンセリングの中で、子供の頃の私に出会うワークを
何度もやりました。
何度も会った、私のことを
いっぱい抱きしめてあげました。
今は息子をいっぱい抱きしめることで、
私が抱きしめられているような、愛に包まれます。

本当にありがとう。
いろんなことにそう思います。

傷付いたけど、その傷は自分で癒すことができます。
時に人の手を借りながらも、
その傷を癒すことが出来るのは自分だけ。
だからすべてが自分の努力であり、いつか必ず報われる。
それを信じられるように、いつしかなります。

大きくぶれていた感情の波ですが、
感情はあって当たり前。
オートで感情は揺さぶられます。
でも、その波を自分の力で小さいくしていくことが可能です。

ではどうすれば?

私たちに、「気付き」という名の「智慧」が現れれば。

それは様々な体験を通して、
誰かの言葉を通して、知識として知ることも必要かもしれない。
本かもしれないし、インターネットからかもしれない。
テレビから聞こえてくる声、聞こえてくる音楽、音、
自然のものたち。
目を通して入ってくるもの、肌を通して入ってくるもの、
なにかわからない、でも私たちはいつも感じてる。

私たちの感覚を研ぎ澄まして、
気付くことにオープンになること。
そこから始まっていくような気がします。

右も左もわからない時は、
カウンセラーさんが誘導してくれます。
そして、私たちは自立していくのです。





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