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50過ぎのおばちゃんが海外就職できた3つの理由
こんにちは! りりいです。
いま、インドネシアの首都ジャカルタに住んでいます。
現地採用で半年が経過しました。
そもそも、なぜジャカルタ?
インドネシアが好きだから?
辛い食べ物が好きだから?
常夏が好きだから?
いずれも違います。
では、なぜジャカルタ?
その理由は3つです。
理由をお話しする前に、簡単に自己紹介しますね。
自己紹介
50代のおばちゃん保育士。
それまでの経歴を話すと、とても長くなるのでここでは省略します。
49歳のときに独学で保育士資格取得後、50歳で保育士にキャリアチェンジしたレアな人。
(多くの保育士や幼稚園教諭は、新卒で保育園や幼稚園で働きます。それ以外の仕事をしたことがない人も多いです)
ちなみに、ピアノも独学。(YouTubeで学びました。YouTube様様です)
子ども時代、ピアノを習っている友だちがけっこういて、とても羨ましかったです。
お金がかかるし、うちは貧乏だと思っていたので「習いたい! 」と口が裂けても親に言えませんでした。
こんな、保育士キャリアもピアノもできないおばちゃんが、3年前に保育士としてスタートしました。
前職の職場は人間関係もよく、それなりに楽しかったのですが、2年目に入り体調に異変が生じました。
実は2022年の夏ごろ、体調がすこぶる悪くて「わたし、もうダメ。続けられない。もう辞めよう……」と 退職届を手にし、上司に提出。
その3か月後に退職しました。
それから、たくさん病院を調べて、勇気を振り絞り心療内科を受診しました。
診断結果は重度の抑うつ状態でした。
その後 約半年間 、治療を続けて自宅療養をしていました。
幸いにも、今年に入り体調がずいぶんよくなりました。
「わたし、うつヌケしたかも! 」
少しずつやる気が出て、 働く意欲が湧いてきました。
そして毎日穏やかに過ごせていました。
通院最後の日。
主治医から「りりいさん、もう終院していいですよ。もう来ないでくださいね。(笑)お元気で、さようなら! 」と、笑顔で言われました。
「先生、ほんとにありがとうございました」
「わたし、乗り越えられたんだね。えらいよ」
思い出すと、胸がじーんと熱くなります。
うつを克服した話は、 また別の機会に書こうと思います 。
1 海外就職への強い意志と行動力
次の仕事について、幼稚園教諭の資格を取るまで、国内の保育園で辛抱しようかとも思いました。
でも、元来中学生のころから海外への強い憧れがあり、 今までも 海外旅行や海外生活を2度してきました。
海外が大好きなんです。
もう一度「海外で自分の可能性を広げたい! チャレンジしたい! 」という強い気持ちが、ふつふつと湧き上がってきました。
「よし!海外に行こう!海外で働こう! 」と決意がかたまり、海外就職活動を始めました。
2最初のオファー
さっそく、4つの幼稚園に応募しました。ベトナム、中国、インドネシア、そしてメキシコ。
そのうち2件から返事がありました。
1つはメキシコ。
メキシコは、わたしにとって未知の国。
メキシコもいいなあと思っていましたが、人事の方から「書類のスペイン語翻訳に時間がかかるので、もう少しお待ちください」と返答がありました。
こちらの書類選考中に、インドネシアの会社から書類選考通過、オンライン面接までこぎつけました。
オンライン面接はとても緊張しましたが、なんとその場で内定をいただきました。
メキシコも気になってはいましたが、書類選考が通過するとも限らないし、あわよくば面接させていただいても、採用されるかどうかまでは、わかりません。
就職活動中、最初にご縁があるところに行こうと決めていたので、これでいいんです。
3異文化交流が好き
わたしが初めて海外に行ったのは、23歳のときです。
それ以来、17ヵ国に旅行と移住を経験しました。
移住の1つ目は イギリス、2つ目は 中国。
そこで出会った 友だちとは、 今でも交流があります。
インドネシアも昔、ジャカルタ・ジョグジャカルタ・バリ島に友達と旅行したことがあります。
異文化交流をすることで、 日本と違う文化や常識に触れ、違いを認識できます。
他国との違いを認識できるようになると、自分の価値観が変わります。 日本の一般常識が外国では非常識だった、ということも数多くあります。
こうした”日本の当たり前”が、他国では”当たり前じゃない”と気づければ、多様性を認める力もつきます。
当然、マナーや生活習慣、考え方は国ごとに大きく異なります。
日本人同士でもそうですよね。
インドネシアは時間の感覚がゆったりとしていて、人も親切でいつもニコニコしています。(中にはぶっきらぼうな人もいますが)
理解しがたいマナーや生活習慣でも、相手の多様性を認めて価値観をできる限り許容することが、異文化交流を楽しむ秘けつではないでしょうか。
異文化交流によって得た新しい気づきや価値観は、豊かな人生を送る手助けになるはずです。
まとめ
50過ぎの経験の浅いおばちゃん保育士でも、採用してくれたことに感謝。
現地で働き始めて、園長先生に採用の理由を聞いてみました。
園長先生いわく
「りりいさんは、保育以外にもいろいろな職業や海外生活を経験されていたから。
うちは、日本で保育ひとすじの人より、臨機応変に動ける人が欲しかったんですよ」
そう、わたしは環境適応力が高いのです。
ここでは、予定がコロコロ変わるのは日常茶飯事。
とくに、上司が現地の人であればなおさらです。
日本の会社では転職回数が多かったり、年齢が高めだと敬遠されがちですが、海外の求人では年齢不問や未経験可の求人があります。
だから、年齢やキャリアを気にする必要はありません。
とにかく応募してみることです。
人生を長く生きてきた人こそ、若い人にはない経験や強み、そして得意なことがきっと1つや2つありますよ。
「Tidak apa apa! 」 (インドネシア語で、「大丈夫、問題ないよ」 という意味)
うつにもなった50過ぎのおばちゃんが、現地就職し今こうして海外生活を満喫しているのですから。
りりい