大人としてじゃなく、私を生きる。/インナーチャイルドと向き合う方法
あー今日もださいな。笑
そう思いながら、自分の内側と対話している金曜日の朝。
ブランディングの卒業コミュニティの毎週金曜日の朝にやっている
「インナーチューニング」
我ながらめちゃくちゃいい会だと思ってる。
ちなみに同じようなチューニングを
トレーニングで習慣化していくプログラムの無料相談会を募集してます♥︎
詳細はこちらの記事から飛べます。
(準備中)
さて、インナーチューニングの内容としては
今週あったざわつきもやつきを書き出す
そこにあるはずの感情を言語化してみる
たったそれだけのことなのに、
毎週毎週参加者のみんなが気づきで溢れるんだよね。
今日、私がざわざわしたなーとして書き出したのは
「公で誰かのことを褒めるという行為」
それを目にした時に
なぜもやるかというと・・・
「わざわざみんなの前で見せなくても」
「ひんまがってんのか?」
ってことを思うことがある。笑
でね、チューニングが終わった後に
パパと少し話してて、私の言い分はこれですよ。
こうやって素直に打ち明けたらさ
褒めを受け取れずに育ってきた
幼い頃の私が痛がっていたことに気がついたの。
褒められたいなんて思ってはいけない。
褒められたいなんて甘えだ。
「褒めて」を封印。
誰にも悟られないように
クライアントさんにも
“自分で自分のことを褒める”
“人に求めない”
って伝えてきたから
「そんな恥ずかしい願望持ってません 」
ってフリして生きてきた。
本当はこんなにも
褒められたくて愛されたいのにね。
口に出していいんだよと、
許可してあげたかった。
生徒さんからの
「褒めてほしい」を察知していたのに
褒めてあげられなかったのは
シンプルに「褒めて」って
できる人が羨ましかったのもあるし
「褒める」という行為をしたら
今まで雑草魂で頑張ってきた私を否定することになる(思い込みね)
「褒められたい」と口にしたら、
それが溢れて立てなくなってしまうことが怖い(これも思い込みねw)
「褒められたい」と願って
褒められなかったらすごく傷つくし
だから自分を褒めなそうな人のそばで過ごし
「褒めないもんね、この人は」って
褒められるを諦めて、避けて生きて
でも時たま褒められてしまってw
それは真正面からは受け取らずに生きてきた。
(もはや何がしたいの状態)
だけど私はこの「恐れからの設定」を変えたいって思った。
だからこそのストーリーズのバンジーでした♩
これ↓
自分が持ってしまっていて苦しい設定は
こうやって自分が塗り替えて、変えていけばいい。
「自分で自分を褒めたらどう?」
という提案もいただいたんだけど
補足をすると・・・
⇧
の必要性は重々承知しているし、最終的にはそこを目指してるには変わりない。
けど今回は「褒め言葉をもらうこと」は目的ではなくて
「褒めてほしいなんて思う自分を隠したい(シャドウ)」から
「褒めてほしい自分も隠さずオープンにしたい」だったから、声を大にして叫んだ次第です。
じゃあ自分の中でだけオープンにしたらいいかもな?と思うけど
私は“一番望むことを言葉に出す”というサポートをしているからこそ
読んでくれている人に
褒められたいって思う自分も
愛されたいって願う自分も
あぁ隠さなくてよかったんだ。って安心感を届けたかった🥺
それなら宣言だけでよかったやんという話なんだけどwそこはごめんなさい。
ついでに褒め言葉ももらっておこうと思い、
欲が出ちゃいましたw
人ってね大人に見えていても内側で
めちゃくちゃ子どもが暴れているんだよ。
正当な意見を言ってくる人だって
心の中で自分の中の子どもが暴れてる場合もある。
大人を大人としての色眼鏡でみるから
こんなことしちゃいけないって、ジャッジが生まれる。
それを知っておくと
その人を「大人として」みるのではなく
その人で見ることができる。
怒っているあの人も
いつも嫌な態度をしてくるその人も
もしかしたら心では泣いているのかもしれないね。
本当の自立は“自家発電”だと思う。
けれど自家発電ができる力は自分の中にある光も影も、見つめる強さを持ってこそ訪れる。
焦らずに、気づいた人たちで、優しい世界にしていこうね。
今日も、読んでいただいてありがとうございました💞