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剪定好き
剪定好きは削り好き。と昨日、陶芸の陶房で話をした。
剪定は、樹木や草花を必要なときに切る作業。
削りは、ろくろでひいた器の底を削る作業。
文章の編集もそれに似ているかも。
わたしは剪定が好きだ。樹木の様子を観察して必要な部分を切る、残す、の区別をする。例えば花芽と葉目を見極めて、花芽の上を切る。とか、枝の3分の1に切るとか。全体とのバランスを見て、ざっざっと切っていく。
観察していると、イラガの卵、ミノムシ、蝶のサナギ、冬眠明けのアマガエルなんかに出くわして、ちょっと嬉しくなる(イラガの卵は別だけど)
金魚草も、すっきりと。
子どもの髪を切ったときも同じ気持ちだ。
器を削る作業は、経験と感覚を研ぎ澄まして、削りすぎて穴を開けたり、ゆがんだり。まだまだだ。きっと植木屋さんからみたら、わたしの剪定もまだまだだろうが、庭の木はわたしが切っている。
生け花を習っていたことも大きな要因だろう。敬愛する先生はいつも、‘あってよし、なくてよしなんやで!’と分かるような、分からないようなことを言いながら、花材を切っていた。不思議なことに、先生が一つ小さな枝を切ると、全体がすっきりしたり、しゅっと締まったりしたものだ。素晴らしい先生だった。
ものごとの仕分けをしたり、いる、いらないの見極めも、剪定の部類だろう。庭の木の剪定のように、いる、いらないとモノを捉えると、自分に必要なものが見えてくる。そして、不要なモノを手放しやすくなった。剪定した後に、伸びやかな枝が出でて、花が咲き、実がなるのを知っているから。
ほら、すももの枝、こんなに切った。一年間伸びたものは、少し赤みがかった美しい色。古いものは、茶色。捨てるのは忍びない。いつもは薪にするが、今年はこれで染めを、してみよう。この時期の枝は何色になるのかな。
明日は染めについて書くことにした。