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あさイチ ファーストサマーウイカさん

2024年7月5日放送「あさイチ プレミアムトーク ファーストサマーウイカ」を見た。

ウイカさんは以前にもこの番組に出演されていたので、もう顔を出す機会はないか、と思っていた。プレミアムトークには主上をお呼びするのではないかと、密かに予想していた。

華丸さんが
「番組始まって以来、一番身分が高い方にお出ましいただくので、スタジオに御簾を置こうかと相談していました」
と、笑いを取りに来るのではないかとまで想像していた。

しかし主上は他の番組にご出演なさるそうで、その夢はついえたかと思ったところで、ウイカさんご自身によるあさイチプレミアムトーク出演SNS告知投稿を見つけ、早速録画をセットした。

あさイチのプレミアムトークに、主要ドラマの出演者が招かれるとクランクアップ、すなわち演じている役の退場が近いサインと言われているらしい。そのジンクスを破った人は、菅波(光太朗)先生と女院さまという。吉田羊さんはその噂をご存じのようで、出演した時は「まだ死にません」と言っていた。ウイカ少納言もクランクアップ間近だろうか。

少納言は初夏がお好き

改めてとなるが、ウイカさんは運命の糸に引き寄せられるように、清少納言に近づいていった人だと思う。「五月の御精進のほど」など、『枕草子』には初夏から盛夏の模様を描写する段が多く見られる。ホトトギスの鳴き声が、とりわけお気に入りだった。

『枕草子』における、定子の生前最後の模様を記す段(三条の宮におはしますころ)も、夏の話である。1000年5月5日の節句の日、皇后とされた定子のもとを、末妹の御匣殿(みくしげどの、実名は伝わっていない)が訪ねてきて、清少納言の後輩にあたる若い女房たちとともに、薬玉を脩子内親王や敦康親王の衣につけていた。一方、清少納言は献上された青ざし(青麦を摺った粉末から作られた菓子)を皇后に差し上げた。皇后は

みな人の花や蝶やといそぐ日も
わが心をば君ぞ知りける

(人々がみな花よ蝶よと浮かれている今日も、
私の心の内を、そなただけはわかっていたのですね)

と、歌を返した。

皇后はこの時第3子を懐妊中だった。つわりが最もひどくなる頃で、上の子たちの時よりも体調が思わしくなく、体力の限界も感じる日々だったか。妹を呼んだのも、万一自分に何かあった時に、子供たちを守ってほしいという願いが込められていたようにも思える。

皇后はこの後、8月に今内裏に参入して主上としばらく過ごすが、それが生前最後の夫婦水入らずの時となった。

清少納言にとって皇后様の思い出は、二人のお子さまと一緒に祝った端午の節句で途切れているのだろう。「初夏」のまま、時が止まったような心地と拝察される。

過ぎてから気がつく

印象に残った話題は、演技の後で気づく「あの時、ああすればよかった、あそこ失敗したとかの後悔の念って、どうやって消化しているのですか」。ほとんどの人が「監督がOKと言えばOKなのだから、あとはお任せ」と言ってくれるが、ウイカさんは納得できなくて、メイクさんや衣装さんにまで聞いてしまうという。

私も心療内科に通っていた頃、「今日はカウンセラーさんにこれを聞いてもらいたい」と考えていたことを話し忘れて、悔しさで数日くよくよ悩むことがよくあった。不思議なもので、会計を済ませて外に出た瞬間に、パッと思い出す。

大吉さんの話がふるっていた。

「今だから思いついたとか、あの瞬間は多分思いついてもいないだろうし、思いついたとて言葉が違っていたとか、過去を美化しているだけな気がして。」

あの頃の私に聞かせたい。

ウイカさんは、早口でしゃべり倒すトークが印象的な方で、他地域の人がイメージする「いかにも関西人」を大っぴらに出す一方、上世代の上方芸能人たちがほぼ共通して持っている毒気をあまり感じさせない。陽気で豪快なようで、実はとても細やかに神経を使うお人柄が、言葉の端々から感じられた。

「俯瞰というか、もうひとり(自分が)いるという感じがありますね」とお話されていたが、常に自分を客観視する、メタ認知能力に優れた人だと思う。上記の大吉さんアドバイスも、自分のふるまいを冷静に評価する視点があればこそ、だろう。

座長と中宮さま

ビデオメッセージは、まず吉高座長。ウイカさんが披露する自分のものまねについて

「失礼しちゃう。あんなしゃべり方してないよな?最近、びっくりするんですよ。自分のVTR見ていると。…認めようかな、そろそろ。」

前にも同じようなことを話していた人がいた…と記憶をたどると、コロッケさんのものまねに対する岩崎良美さんの談話だった。ものまねターゲットである姉上は絶対認めたくないだろうけれど。

続いて中宮さま。中宮さまは最初から中宮さまと思っていたゆえ、その現代人姿はかなり衝撃的だった。何となく、吉高さんと同じようなスタイリングかと思い込んでいた。まさかショートカットだったとは…!

中宮さまいわく
「ウイカちゃんは、細かいところまで史実を調べていて、豆知識が豊富で、それを教えてくれて、(私は)シーンへの理解が深まりました。結構オタクなんじゃないかって。何かお題を出すと、すぐに知識が出てくる人で。」

それって、実際の中宮と清少納言の関係そのままではないか。清少納言は、すぐに答えられなかった時の悔しさも記している。

現代に転生した中宮さまも関西人仲間という事実も衝撃的だった。実際の中宮は、おそらく生涯一度も都の外にお出ましにならなかっただろうが、転生した中宮さまには関西人の気配など微塵も感じられない。

出演者にフォローさせる脚本なんて

ウイカさんは、清少納言の里下がり中、中宮からもらったくちなし(山吹)の花びらの手紙の話を、「これは忘れずに言わなければ!」とばかりに熱弁していた。

渡辺大知さんのラジオ番組にウイカさんが出演した際も、
「清少納言と行成との交流、楽しみにしていたのですけど、やらないみたいで。」
「いつのまにか、その時が過ぎてしまっていました。」
と、二人で話していた。

ウイカさんも中宮さまも、当然よく知っているはず。実際の中宮には、伊周・隆家以外に弟妹が4人いることも、清少納言の初出仕は雪が舞う季節だったことも、清少納言は女房仲間から道長方への密通を疑われたがゆえに、自分の意思で一旦里下がりしたことも、中宮のほうから復職を呼びかけたことも、斉信とは深い仲になっておらず、本命はたぶん他の人ということも、元の夫・橘則光と離婚後もしばらく交流があったということも。

伊周や隆家の人はどう思っているか知らないが、井浦さんも板谷さんも、脚本のフォローアップや違和感をお話されている。やはり、あの脚本は関白道隆家チームをかなりがっかりさせただろう。

中宮さまのVTRコメントに涙ぐんでいたウイカさんを見るにつけ、何とも情けなくなる。せっかく尊い関係を築いた出演者さんたちの熱意を愚弄するような脚本を書いた先生、「道長再評価」を提唱しておきながら、ストーリーの破綻や暴走に対する批判が目立ってくるとSNSで逃げの姿勢を見せる考証の先生、香炉峰の雪はじめ『枕草子』のエピソードが描かれるたびに棘のある言葉のナレーションを入れたアナウンサー、皆さん少しは恥を知っていただきたい。

考証の先生は、一般の人に向けて発信する際に、あくまで後世の武家政権時代との比較を念頭に置いた話し方をなされている。「平安時代の貴族は無能で遊んでばかりいたのではない、その働きぶりは後世の有名武将たちにも決してひけを取らない。」「摂関政治は、天皇を蔑ろにした悪い政治ということは決してない。」が、その主旨である。道長再評価も、その思いが根底にあるがゆえの試みだろう。しかしそれは、道隆の家をむやみに貶めて描くことや、主上が愛する妻におぼれて政をおそろかにしたかのように描くこと(史実に反する)と、決してイコールではない。脚本の先生やドラマ制作チームは、そこを誤解している。考証の先生もまた、一次史料のうち、道長方に有利な記録のほうに着目しがちな節がみられ、その姿勢がドラマ畑の人たちの誤解を知らず知らずのうちに増長させている。道隆も道長も、当時の貴族の常識の範囲内で政務にあたっていたはずである。

集めていたもの

ウイカさんは「皆さんが小さい頃になぜか集めていたものを教えてください」と、視聴者にお題を出していた。

番組には応募しなかったが、今でも机の奥にあるものは

・カラーのサイコロ
・明治製菓「アルファチョコ」の箱
・紫色のセロファン紙
・伊勢赤福のおみくじマッチ(マッチの棒と頭が4色になっていて、16通りの組み合わせが箱に入っている。箱の上部には穴があけられていて、おみくじと同じように振って1本出す。マッチ箱には16本それぞれの卦が書いてある。私は「大吉」「小吉」「凶」という言葉を、これで覚えた。)

など。ウイカさんよりひと世代上、「レイトサマーバンカ(晩夏)」の思い出である。

いみじうおどろおどろしきバンド

後半は「打首獄門同好会」と名乗るバンドが出演して、「暑い時には水分と塩分をとりましょう」と訴える「BUNBUN SUIBUN」など2曲を演奏した。レイトサマーバンカ世代の耳には失礼ながら一本調子に近い感触だったが、上世代の耳になじむメロディアスな曲では、かえって伝わらないだろう。ロックでそのようなことを訴える時代になったのか、という感慨を覚えた。

ロックはもともと「旧世代が支配する体制への異議」がテーマのひとつだったこともあり、日常生活のあるあるや健康に対する意識啓発を正面切って歌にしようという発想は、これまであるようでなかった。インディーズレベルや、子供向け教育の分野では既にあったのかもしれないが。

水分をとりましょうとか、お金がたくさんほしいとか、働きたくないとかは普遍的なテーマだが、人によって考え方が異なる話題まで手を広げようとすると、その途端思想性とかメッセージ性とかの議論に巻き込まれる。そのぎりぎりのラインを狙っているようにお見受けした。

それにしても娯楽時代劇は、「打首獄門」など本来いみじうおどろおどろしき言葉をエンターテインメントとして消化してしまう力を持っていると、つくづく思う。これについてはまた改めて記事にする機会もあるだろう。


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