フェリーに乗ってライラックを見に行く(4)
五月の札幌
午前8時前、札幌の街を歩き始める。
小樽下船時に広がっていた雲はいつしか去り、まぶしく晴れやかな朝を迎えていた。
少し強い、涼しく爽やかな風に吹かれながらビル街の谷間を歩く。心地よい。
昔は「春の札幌は観光に適さない」とされていた。雪解け水で道路が汚れている、ほこりっぽい、寒いなどと言われていた。フェリー内読書用に持参した文庫本「啄木・賢治 北の旅」(小松健一・著、京都書院、1997年)にも
と記されている。著者の体験は1980年ごろと見られる。その頃は今よりも気温が低く、5月でも市内のそこかしこに雪が残り、東京など大都会の雪のように泥にまみれ歩道に固まっていたのだろう。
札幌の観光といえば夏休みか雪まつりしか思い浮かべてもらえなかった時代から、ライラックは札幌の春の花として市民に親しまれてきた。胸に秘めた自負でもあったのだろう。
時が過ぎ、札幌の5月は一斉に咲く春の花を楽しめる季節として人気が上昇している。その代わり東京など本州の5月は熱帯のようになってしまった。
札幌市時計台
札幌駅に隣接するビル「エスタ」前の交差点から赤紫色の花がちらほら見え始める。道なりに進むと札幌市時計台前交差点に出る。ここで最初のライラック鑑賞。ようやく本物に対面できた。
春の紅葉とのコントラストが美しい。
いつの頃からか札幌市時計台は「日本三大がっかり名所」のひとつなどと喧伝されるようになった。失礼な話である。
ならば尋ねたい。
あなたは何を期待していたの?
どのような景観ならば満足できたの?
札幌農学校演武場の建設は1878年、時計塔付設は1881年。この地の開拓が始まってから10年ほど過ぎたころである。農学校は町の中心部にスペースをたっぷりと取って開学した。
当時は周囲にほとんど建物がなく、時計台は広い空の下、かなり遠くからでも容易に見渡せただろう。文字通りのランドマークだったと想像される。観光客はそのイメージを脳内に描いていると推し量られる。それが高層ビルに囲まれて街の片隅にちんまりと収まっているなんて!といったところだろうか。
ここで考えてほしい。札幌は城下町でもなく、門前町でもなく、近代文化の合理的精神が生み育てた街である。周囲が栄えていき、人が集まり、様々な商業や文化が生まれ発展していったという歩みはむしろ喜ばしいことではないだろうか。環境破壊などそれに伴う弊害はひとまず措くとして。時計台は札幌の街が開拓の初心を大切にしている証。周囲が大きな街になっていることに誇りを感じてほしい。孫や曽孫が立派に成長している様をまぶしく見上げる祖母、曾祖母と思えばよいではないか。
時計台内部の展示は1998年に見学している。それを見て上記の考えに至った。今回はライラックが主目的なので入館は割愛した。
テレビ塔
時計台から2分ほど歩くと大通公園につきあたる。左にはテレビ塔。かなり年季が入っているはずだが、今なお札幌のシンボルである。
まだ朝の通勤時間帯で、道路を行き交う車や地下鉄の駅に急ぐ人の姿が多い。テレビ塔近くには赤紫色のチューリップが咲き揃っていた。
振り向くと赤紫のライラック。
創成川公園
テレビ塔をはさんで大通公園と反対側(東側)に創成川公園がある。周辺道路立体交差化を柱とした交通渋滞対策の一環として2011年に整備されたという。従って全体的にまだ新しく、ようやく周囲の景観になじみ始めた頃。
新しい公園ゆえか、ここには多彩な品種のライラックが植えられている。札幌市中心部ではこの公園が最も落ち着いて鑑賞できるだろう。樹木の根元には品種名を記したプレートが設置されている。遅咲き品種はまだ枝だけ、もしくは固いつぼみがちらほら程度だが、早咲き品種は見ごろを迎えている。モコモコの満開よりもつぼみがいくらか残る状態のほうが、色に奥行きが出てきれいに見える。
薔薇、菊、蘭には及ばないがライラックもたくさんの品種がある。創成川公園ホームページ に詳しく紹介されているが、ほぼ全てが西洋の風物や人名にちなむ名前。プレジデント・リンカーン以外は由来が全くピンと来ない。「はなもいわ」「ようてい」「おかむらさき」など日本語の名前がよくつけられているラベンダーとは対照的である。
ライラックの基本カラーは紫、ブルー、ピンク、白。このバリエーションとして様々な花色が展開されている。
プレジデント・リンカーン。テレビ塔脇の交差点から公園南1条ブロックに入ってすぐの場所に植えられている。ラベンダーの濃紫をそのまま薄めたような涼しげな青紫が好ましい。
ジェネラル・シェリダン。南北戦争の際北軍の指揮をとった将軍の名前という。白いライラックは「青春の喜び」「無邪気」を花言葉としているが、一部では悲恋伝説の花として知られているそう。有色と白がある花は、白い花に特別なエピソードがつけられているケースが多いように思える。
ドイツ語で「フランクフルトの春」。八重咲きピンク。
四季藍。日本語ではなく中国語(Si Ji Lan)。1989年に中国の植物研究所員が作り出した交雑種。一重ピンクがアジアらしいか。
エスタ―スティリー。赤紫色で、ライラックの代表的イメージ。
センセーション。突然変異によりできた白い縁取りを持つ花。バラや菊はたくさんの複色品種が栽培されているがライラックでは珍しい。
アセシッピー。創成川公園で最も早く咲く品種。この木だけ川べりに植えられている。
ブランシュ スウィート。1910年代にハリウッド映画で活躍した米国の俳優Sarah Blanche Sweet (1896-1986,リンクはWikipedia)にちなむ品種名。やや寂しげな印象の紫。
モンジュ(Monge)。ナポレオンの時代のフランスで活躍した数学者の名前。ひとりでもモンジュの知恵か。遅咲き品種のようで、濃い赤紫のつぼみがひと房だけ姿を見せていた。
ミシェルブフナー。ブフナー漏斗とは由来が異なるだろう。
ポカホンタス。
ノーダン。プレジデント・リンカーンとはひと味違う青紫系。
訪問日に南1条ブロックで咲いていた品種は以上12種。東側に植えられている木にはまだ陽光が差し込まない時間帯だった。
南1条ブロック端には「北海道里程元標」の複製が建てられている。江戸日本橋道路元標の北海道版。篠路、銭函までの距離が彫られている。開拓当初の札幌にとって海までの距離は重要な情報だったのだろう。側面には対雁(ついしかり、現在の江別市)、島松への距離が彫られている。
ここで折り返し、テレビ塔をはさんで反対側の北1条ブロックを訪ねる。東側のビルと離れているのか、9時に近づき陽射しが強くなってきたのか、南1条ブロックよりいくらか明るい。ここでは新たに4品種の花と出会えた。品種プレートをチェックしきれていなかったが、撮影した写真と創成川公園ホームページの案内を照合すると、マダムフローレントステップマン、ミスエレンウィルモットの白い花も咲いていたようである。
アンゲンデン アン ルートヴィヒ シュペート。
長い。ライラック界の寿限無か。暗めの赤紫色。
ラム フォン ホルステンシュタイン。「ホルステンシュタインの名声」。
チャーム。紫陽花のように球形に花が広がる。
マダム ルモワン。白いライラックでも前述のジェネラル・シェリダンより可憐なイメージ。カスミソウにも近い。
強めの風が時折ライラックの花房を強くゆらし、望遠レンズで撮影していると速いシャッターでもブレが生じる。テレビ塔を背景とする赤紫と青紫が最も絵になる。
ハート、蝶、星、小鳥、魚…花房の形を様々な物にたとえるのもまた楽しい。