明るく生きたい
大事なものを失ってしまって。
なんであんなことを、あの時してしまったんだろう。
なぜ、ああしなかったんだろう。
自分が悪い。
自分のどこが悪かったのか。
何を直せば違った未来が得られたのか。
たくさん、自分の悪かった点、至らなかった点をあげてみた。
これまで、自分の欠点に一生懸命取り組んできた。
一つ乗り越えた。やった乗り越えられた。
だけど、安住して数年経つと、ある日突然、思ってもいなかった不運に見舞われる。
どれだけ自分の欠点を直しても、望んでいたものは得られない。
どれだけ苦しみを祈っても解決されない。
これまでの努力、真面目に生きてきたこと。
それになんの意味があるのか。
私は人と比べてそんなにダメなのか。
それとも、それは私が悪いのではなく、「神の御技が現れるためなのです」?
生き方がわからなくなり、神に頼る生き方に立ち戻るも、それゆえに無謀なことをしたり。
かえって、自分の思いなのか、神の御心なのか、それをうちにうちにと問い続けることで、かえって精神が暗く、孤独の世界に落ちていく気がする。
祈るだけ、神を信じ無謀なことをするのでなく。
人らしく、ただ目の前にあることに、取り組むだけ。
悲しみや苦しみは神を信じていてもきっと減らない。
ただ、人としての常識に基づいて、人としての当たり前の知恵を働かせて、努力をする。
それを続けるしかないのではないか。
悲しみや苦しみは、私の命がある限りそこにある。
その消えない痛み。
その消し方、薄め方を私は知らない。
頑張っても神の声を聞けたかはわからない。
それを聞こうと気が変になるよりも、苦しみや悲しみを存在を無視して、今の1日をただ自分が生きられるように生きる。
それしか、できない。
でも、苦しみや悲しみの中ではそれで良いのではないだろうか。
いつか明るく生きたい。
明るかった私は、気づけば、悩み始めてから16年、あの頃の明るさがなくなってしまった。
辛いことが消えない世の中なのに、辛いことに注目して暗く生きるよりも、
明るいことに注目して生きる方が、本当は私も楽なのかもしれない。
私のことなぞ気にもせずに生きている人が羨ましく、憎く思っても、その人も、辛いことや悲しいことに注目して生きるよりも、楽しいこと楽なことに注目して生きる方が楽だからなのかもしれない。
そして、その生き方は別に悪いことではない。
勝手に、苦労したら良いことがあると思い込んでいた。
でも、そんなお楽しみを先延ばしにするような生き方をする根拠もない。
若い時の苦労は勝手でもしろ、と言われていた。
でも。苦労して暗く生きることは人生の本望なのだろうか。
もし、この世に神がいて。宇宙が存在する意味があるとして。
生き物を暗く生きさせることが神や宇宙の存在する意味なのだろうか。
それならば、生き物をそもそも誕生させなければ良い。
私を暗く生きさせること、試練に合わせ続けることが神の本望であるのならば、それは随分と底意地の悪い神だ。自分の権力を誇示したい随分と勝手な神だ。
私は明るく生きられるようになりたい。
今までは暗かったかもしれないけど、本来の明るさの私の方へ戻るようにする。
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