情緒行方不明。
1年前の2023年2月12日(日)のメモ
この日は一日中外に出て人と話してたくさん移動もした日だから、この1週間前の5日に書いたメモかもしれない。4日に友達と初めてのホストクラブで夜遊びをして、終電で帰ってその次の日には一日中、家の布団の中で篭っては心の中のムシャクシャとひたすら戦っていた記憶がある。何もしなかった、できなかった日なのに1年経ってもすごく記憶に残っている。
部屋の写真も残っていたけれど、すごく荒れていた。真冬なのに扇風機が出ていて、半袖半ズボンが床に転がっている。勿論冬服も。
窓際に生けられた、首の折れた黄色いチューリップと生き生きとした霞草がなんか不自然。この荒れた部屋にいるのがおかしい。こんな部屋に花が飾られているのは、どうしても元気が出なくて部屋に花があったら1みりでも元気になれるかなって思って、郵便局の近く花屋さんで買った。
この時郵便局に行ったのは、再配達の申し込みをずっと後回しにしてて、直接受け取りに行ったけど、配達会社がクロネコヤマトかなんかで結局受け取れなかった。「ここは郵便局です」って言われた。笑
チューリップの首が折れているのは、花を家に持ち帰ったけど、花瓶に入れる気力がなくて、床に放置してたらどんどんしおれてきたから。時はすでに遅しで、生けられた時にはもう首が元通りにならないくらい萎れていた。まるであの時の私のようだった。ピンピンに元気な花よりも似合っていたかも。あの時の何もできなさと元気になりたいともがいている気持ちがよく表されている花だと思う。
あの時、心の底からこの世から消えていなくなりたいと思っていた。消えてしまえばこの苦しみから解放される。私の未来なんてもうどうでもよくて、ずっとこの苦しいままだと。なるべく人と関わりたくなかったし、社会から放っておかれたかった。存在していたくなかった。
仕事が苦しくて怖くて怖くて行くのも休むのも怖くて、ただ感情を失ったまま、生きているというか、心が死んだ状態で存在しているしかなかった。
一年後の今は、あの時からは考えられないくらい元気だ。週末には友達とマーケットに遊びに行き、週に1.2回は人とご飯を囲み、沢山笑って、好きな本を読んで、服の修繕を習いに行ったり、人伝にお仕事の依頼の声がかかったり、色んなことに興味が湧いてそれをこれから吸収できることにワクワクすることができて、ボランティアにも行ったりしてる。
あの時は、今月こそボランティアに行くぞ!と毎月手帳に予定を書いては、結局行ける元気などなく家に篭っては諦めることを何度も繰り返していたな〜。
今はここ3年間で1番心の状態が良い気がする。
心の状態がいい=気持ちが安定している。
どうしてここまで気持ちが回復したのかは、色んな要素があると思う。
* 関わる人が変わった
* 今まで関わっていた人との関わり方が変わった。
* 病院に行って話を聞いてもらって漢方を飲むようになった。
* 友達が外に連れ出してくれて、(友達は私を元気づけようとかではなく、1人じゃなくて誰かと出かけたい!って時に私を選んでくれていた感じがする。後は一緒に楽しむ仲間が増えたらいいなって思ってくれてたのかな。)色んな世界を教えてくれた。
* ずっと戻りたかった心の状態に戻れないと気がついて、また1から小さくても脆くても私だけの心の核を作っていくしかないと気がついた。
* 仕事以外の時間の楽しみと人の関わりがすごく増えた。
今、思いつく限りではこんな感じ…
もっと本質的な何かがあるかもしれないけど。いま後悔しているのはカウンセリングに行かなかったことと、仕事を休まなかったことかな。
私にとっての負の日々を肯定しようとかは思わないけれど、あの日々が自分でも好きだと思える今の私を作っているの事実だなと。
私みたいな人を救いたいとか、気持ちがわかるとか、そんなエゴは持ちたくないと常々思っている。それよりも誰かにとっての私みたいな状態を私のせいで生み出してしまう事だけは避けたい。その気持ちはとても強い。あと、身近な人が大丈夫じゃなくなりそうな時に話を聞ける余裕を持っていたい。私が誰にも話せなかったから。
まだまだ振り返りきれない程の一年前の出来事だけど、ふと振り返りモードに入ったので書き留めた文でしたとさ。