見出し画像

ここに存在していい

2024.10.25

その場所に合うか合わないかの問題だなと、今日しみじみと思った。
同じ様なシチュエーションでも、心地よくいられる時もあるし、頑張っても居心地の悪さが無くならない時もある。
そんな時に肯定も否定もせずに、相性の確認だと捉えられるようになった。 

1週間に1回誰かとご飯を囲むことを緩く今年の目標にしていて、色んな人と話してご飯を食べて、自分と(周りに)どんな変化があるかを観察してる。
生活していて、ネガティヴになる時間が多い私だけど、この人といる時はそんな事考えないで居られたり、無理しないで一緒に明るく楽しくなれたり、緊張せずにいられたり、本音を話せたり、ちゃんと出来るんだって気づいた。
そういう時間を作ってくれた人たちに感謝だし、相手にとって私もそんな存在であれたら嬉しい。

もし今の環境を変えても、明るくやっていけるんじゃないかな…って希望が少し見えた気がする。

11.4
この気づきがあってからは、人とうまくやれなかったらどうしようと過剰に不安になって、その感情に飲み込まれたり、落ち込んだりする回数が減った。

できないことを落ち込みながらも、できてる人のいいところを真似しちゃおうって、両方の気持ちが同時に頭の中に浮かぶようになった。

技術職のお仕事をしているから余計になのかもしれないけど、
できないことがあるとそれだけで私は価値がない人間だって悲観になってしまう。

それも最近になって、ここで「何もできなくても私はここに存在していいって私が受け入れてあげるんだ」って思えるようになってきた。かも。

それはきっと、関わってくれる人がいて、一緒に時間を過ごしてくれる人がいて、お互いに宛てた言葉を交わせる瞬間があるから。それが心の中でお守りになってくれているから。

(他者の内在化ってやつか?)

(でも、これだと自分で自分を受け入れてるわけじゃない?結局人に受け入れられてないとダメなのか?新しい問いが立ってしまったナ。)


目に見えてわかりやすく変わってはないかもしれないけれど、確実に内側で変化があることは実感できている。
同じことを何度も繰り返しすることで、些細な変化を感じられる。

この前読んだ本に書かれていた

「人は直線的に変わるのではなく、螺旋的に変化していくもの、同じところを何度も回っているように感じるかもしれないけれど、時間とともに場所の深度や高さは確実に変わっている。」(少し要約)

ってこういうことなのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?