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2022年1月7日~9日
すべて終わる予定だった日のことを書きます。
重たい内容になります。
昼の12時くらいだったと思う。
夕方帰る、と親に言い残して家を出た。
ひとつひとつが最後であることを意識するとおかしくなりそうだった。
場所はターミナル駅と決めていた。
すぐに発見されてしまいそうな家でもなく、お世話になった人に迷惑をかけてしまいそうな大学でもなく、名もない人間になれる場所。
賑やかな群衆の中ならば目立たずにいられると思った。
華やかなレストラン街のトイレで薬を飲んだ。
医療系の文献を参考に計算した確実な量。
糖衣が甘すぎて戻しそうになったけれど、少ない水で流し込んで駅ビルのベンチに移動し、その時を待っていた。当時の交際相手に対して、黙っていなくなることを申し訳なく思った。
1時間くらいして薬が効いてきた。
意識が朦朧とし手足が痺れていくいつもの感覚のなか、慣れない吐き気を感じた。
床を汚すことを咄嗟に心配し、外の通路に出た。と同時に吐いた。
やっちゃったと思った。
❄
頭の上から「大丈夫ですか」と聞こえて顔を上げる。
若い男性と目が合う。
ぎょっとして去っていく。
その背後に見える空はまだ明るかった。
❄
救急車呼ぶからね、と声が聞こえた。
すっかり日は落ちていて通行人はいなくなり、私のそばだけに数人の男性の足が見えた。
服装からして警備員か警察の方だろう。
❄
真っ暗な病室に心電図アラームが響く。
同室の人が危ない状況なのだろうと思ってナースコールを押す。
すぐ前の詰所から看護師さんが来て「怖いよねー」と言ってモニターを消した。
個室だと気づくのは翌日のことだった。
ふと思った。
そろそろトイレ行かないとまずいのでは。
車のシートベルトを外すような感覚で心電図と点滴をほどいて立ち上がると血が吹き出て看護師さんが走ってきた。
まさか自分が点滴を抜去する日が来るなんて。
バルーンとオムツが装着されているからトイレは不要だった。
❄
天井を見るとタランチュラとGが数匹いて、時々走って移動していた。
怖いけれど、そんなことで呼び出すのは申し訳ないので我慢した。
後からスプリンクラーだと知った。
いつの間にか昼間になっていた。
若い先生が食事を持ってきてくれた。
入り口から「どうしたんですか」「OD」と囁きが聞こえた。
お腹は空かないがご飯を食べる。
手がダイナミックに震えるので、溢さないよう神経を集中させた。
そんなときでも、お行儀よく完食した。
精神科の先生が来た。
いくつも質問をされたけれど、文を最後まで聞くと前半部分がわからなくなって答えにくかった。
本当に死にたいのか、生きたいけど死ぬしかないと思ったのか、みたいな質問だったと思う。
看護師さんから、早く帰りたい?それともまだ帰りたくない?と訊かれて、「帰りたくない」と答えた。どの面を下げて家に帰ればよいのだろう。
少しして、明日退院だと告げられた。
ご飯を完食したのが良くなかったかもしれない。
別の看護師さんに「明日退院出来るんですよね?」と気持ちと逆の言い方で確認した。
そうみたいね、と苦笑された。
交代した看護師さんから、「しんどいときはしんどいって言っていいんだよ」と言われた。
私は我慢するタイプではないから、優しい言葉はありがたいけれどピンと来ないなと思った。
その看護師さんは私の手の震えが治ったのを自分ごとのように喜んでくれて、その様子につられて私も笑った。
1月9日、家に帰った。
すべてが明るみになってしまい、気まずいことこの上ない。
父親からは助けてくれた人たちに対する責任を果たすよう説かれて、母親は化学系の求人情報を探してきた。
私には生きる気力なんてないのに、話にならないと思った。
いま病院から帰ってきたところなのに、誰が助けてくれた人に感謝して、誰が前向きに就職活動するのよ、と思った。
吐きさえしなければ、死んでいたのに。
結局自分のせいか、と泣きながら汚れた服を洗った。