見出し画像

ドロップアウト

2021年3月、新しい研究室に顔を出した。
そこから毎日が刺激的で、最高に優れた環境のなかで、これまでの怠慢のツケを払いながら勉強して実験して、変なプライドが捨てられないせいで周回遅れで走ることも長くは続かず、秋ごろには人間の姿をしていなかった。
当時は家にいたのか外にいたのかすら思い出せない。寝転がっていたら教授から「いまからそちらに行ってプレゼンの計画聞きます」とメールがきて、今そこにいないし寝てるんだよなと思ったこととか、誰も気づかないような駅のコインロッカーの裏で昏睡して目覚めたら知らない人に手を温められていていて嘘だろと思ったこととかは覚えている。理学部棟の外階段からバンジーするまえに恐怖を取り除きたくて夜に雑談に付き合わせてしまった指導教員はどんな風にバケモノと会話をし改札まで送ってくれたのだろう。目をおおいたくなるSlackの履歴は
時効で消えている。

12月から正式に休学して、一年三ヶ月後に退学した。
ラボ生活を回顧するとき、季節は冬だ。
冬になる頃には私はラボに行けていないので、私の頭が作り出した幻想ということになる。
一連の大学院生活がほんとうに起こっていたことなのか、どの記憶が真実でどの記憶が妄想なのか今となってはわからない。
私のなかでは一種の伝説のようになってしまっていて、無音の映画として繰り返し再生され強化されていく。
それを文章化することは自慰行為に近いけれど、脳内で繰り広げ続ける掴みどころのないものを、どこかに下ろしたくなって書いている。


いいなと思ったら応援しよう!