【歴史コラム】オリエント世界の宗教 ~宗教性と歴史に関係性はあるのか~
(このコラムは世界史を高校で勉強した人、している人向けです。)
オリエント世界と一言でまとめるが、その中では言語も民族も異なる人々が共同で生活をしていた。当然、統一王朝が現れれば王朝の民族が優勢となる構図はあり、ヘブライ人のように奴隷生活を強いられていた民族もいたが、大多数の民族が同時に同空間に同権利で存在しているということは、歴史上意外にも珍しいことである。(後世においては、ある民族が他多数の民族を支配する、「帝国」という形が出てくるが、これは前述した「同権利」とは異なる点は強調しておきたい。)
この特性はどのように生まれているのか?他の地域とは何が違ったのか?について、多数の説があるなかで、ここでは宗教的観点からのアプローチを示したいと思う。
オリエント世界の宗教は多神教である。とりわけ、大地や太陽などの自然に神格性を認め、都市神という形で信仰対象を「守り神」とした点が特徴的である。もちろん、エジプトとメソポタミアで異なる部分はあるが、「人間がどう生きるか?」という視点を信仰に求めていない点は一致しており、オリエントの信仰は「神は人が抗えるものではなく怒らせてはいけない」という原理を出発点としている。そのため、実際の人間生活に対する関心が薄かったといわれており、現実の世界よりも死後の世界への関心が強い傾向にあった。
また、オリエント世界、特にメソポタミアは開けた地形であり多数の民族の流入を受けた地域である。つまり、絶えず流入する他民族に対して抗争をしかけるよりも、宗教的な妨げにならない限りにおいては彼らを受け入れて、共同で「神を怒らせない」ということに腐心することの方が、価値があったのである。その後、この地域を支配する民族は定期的に変わっていたが文化や宗教は継承され、古代~中世に至るまで、世界で最も多様な文化と宗教を携えた地域であり商人を中心とした交易ネットワークの中心地でもあった。
一方で、同時代のギリシア世界はどうだろう。ギリシアは非常に排他的な地域であったことが知られている。ポリスは違えど、ギリシア人として同胞であるという意識が強く、ギリシア人同士は信仰や習慣を共有しつつも、異民族に対しては徹底的に抗うか、権利を認めず「存在しないもの」として扱っている。こうした姿勢の背景は宗教性に由来する。ギリシア世界の宗教は「オリンポスの12神」に対する信仰である。ここにおいて特徴的な性格を決定づけたのは「最高神ゼウスは自分に似せて人間を創った」という部分である。ギリシア人は次第に「我々はゼウスに似ている」という意識を持ち、その意識から「我々にはゼウスの叡知が宿っている」ため「我々は優れた存在であり万物の根源を解き明かすことができるはずである」とまで飛躍していく。そうしたある種の優越感が、他民族との混在を避けさせたのである。こうして育まれてきた、他民族に対する優越感は次第にポリス同士(ギリシア世界内)の抗争に発展し、自らが築き上げてきたギリシア世界の崩壊を自ら招くこととなった。
確かに、彼らが独自に築き上げた合理性や人間中心的文化がその後の世界の発展を支える要素となったことは間違いなく、ローマ文化として紹介されるもののうち、そのほとんどはギリシア文化の影響を強く受けている。そして、ローマの偉人たちの多くがギリシア文化を愛したことは知られている。しかしそれは、あくまでも「歴史として」尊重されただけに過ぎず、ギリシア世界が再び単独の文化圏を持つような復興は行われなかった。
上記の通り、オリエント世界に同時期に存在したメソポタミアとギリシアでは全く異なる歴史を歩んでいた。それには地理的な要素も大いに関係しているだろうが、宗教性の違いも重要な要素だろう。
皮肉なことにメソポタミアの現在は、世界有数の紛争地帯となっている。その要因はやはり宗教と民族だ。自らの正当性を誇示し相手を認めない姿勢は当然火種を生む。
現在、国際社会は連帯を呼びかけ続けてるが、実際はどの国もグローバリズムとアンチグローバリズムの狭間で揺れ動いているように見える。国際社会の連帯に向けて、本当の意味で責任感を持って行動している国は存在するのだろうか。利害・信条・資源・歴史、、対立の理由を探せば枚挙に暇がない。
今を生きる我々はどのような選択を採るべきなのか、もう一度考えたい。
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