産業革命の時代から
1
遅くても産業革命の頃から
経済労働生産成果は、確か150倍
その後の機械&電子化でも、更に数百倍~
なのに人々は、あくせくと働き
経済&企業側は、生産性の向上と言い続け
コストカット、価格競争
人員削減&リストラ
失業、掛け持ち就労、節約&リサイクル
日々の生活の基本である
特に食料品の底値意識
安全の為の食品廃棄の一方での
ホームレス、子ども食堂
物の価値の基準であった筈の
定価表示の廃止
私達は一体なにをしてるんだ?
2
人々は労働から自然に無理なく
適切に解放されるべきだった
それが適切だった、と誰もが認識出来なかった
(就労からの解放度合いという目線&意識)
それは今でも出来ないばかりではなく
言われても理解出来ない
それは、国によっては
失望やパニック&暴動を招きかねないだろう
貨幣は、距離という隔たりを繋ぐ
価値の判断数量というだけの物だった
どれだけ、本当に必要な
労働があるだろう?
不要な産業&職業など、ないと言えるだろうか?
勿論、社会にはある程度の無駄も
必要ではあるだろう
では、本当にあるべき不要な産業&職業とは?
それは考察される事もなく
(本当に不要な産業&職業は)放置されるままで
あるべきだろうか?
3
結果の一例では、思考的ではない
みっともないエンターテイメントばかりが
社会に充満している事などが
なにも影響していない
とは言えないだろうとも感じる
社会的な歌詞がない、メッセージ性がない
歌ばかりが蔓延している事は
結果&現状と、衆愚プログラムへの
危機意識のなさの、1つの顕われだ
と言えるだろうと?
衆愚に与える自由は
本当に自由なのだろうか?
思考性と弁えに及ばない自由は
なにをもたらして来ただろう
それは自由と呼ぶべきなのだろうか?
インフラや家電により
家事から解放されて来ていながら
なぜ女性達は、疲弊しているのだろう
夫の収入で暮せていた、少し前の時代から
共働きでカツカツの生活をしている
という移り変わりに、嘆きが起きないのは
なぜだろう?
人々は、就労からの解放に
備えるべきではないかと思う
就労からの解放の移行に
心構えを持つべきだと思う
職を失う、ではなく
職が不要になり、経済生産成果が
分配されるだけの時代
それは、資産運用だけで
暮らしている、資産家達の
生活として、既に存在している事
でもある
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メモ:表現やまとめが難しいw