見出し画像

新卒で入った外資系企業を3か月で辞め、気づいたら本土最北端の終着駅稚内に降り立っていた話


プロローグ

「今日が最後だ!今日さえ乗り越えればもう、、、」
東京都港区の某オフィスに向かう朝の人混みの中に紛れ、私は力なくつぶやいた。
2024年7月1日、梅雨も終わりに近づきジリジリと照らしてくる日差しを遮る雲はなく、今朝の天気予報によると今年一番の暑さになるようだ。
そんな青空とは対照的に、私の心はどんよりと厚い雲に覆われていた。

入社から休職まで

4月の入社式ではワクワクしていた。
関西にある理系の大学院を卒業し、自分がこれまで研究していた生命科学の最先端に関わることのできる〇✖社に内定をもらった。しかも外資系で給与水準も結構高めときたもんだ。
研究を仕事として続けていくのは自分のレベルでは難しいと感じていたが、それでも生命科学の研究は好きな分野だったから携わっていたかった。
だから営業という形で研究に使う製品(装置や試薬など)を紹介し、研究者のみなさんの成果をサポートしたい!成果が出れば自分もその一端を担えたことをやりがいに感じられるだろう!
そんな気持ちだった。

いや、、、

それはエントリーシートや面接のために考えた建前だ。
本音はやはり「会社のネームバリュー」と「基本給」に憧れていただった。
大企業に入るために
(理系院生の私が営業職を志望すれば、他の学生と差別化できるだろう)
(選考も有利に進められるに違いない)
などと謎の戦略的思想で突き進んでいた。
結局友達や家族、広くは社会通念に対する「見栄」でしかなかった。
さらに、たとえ友達だけであっても4人以上の集まりや飲み会が死ぬほど苦手な私は
(外資系だったらまだマシかもしれない)
と祈るような気持ちで〇✖社の内定を承諾した。

思えば2週間の全社研修が終わり、営業部に配属された初日から違っていたのだ。初日の上司との面談で明らかに面食らった。
開口一番

「そんなみすぼらしいスーツはやめとけよ」
「最低でも5万はするものじゃないと」
「初任給入ったらオーダースーツを買いに行かないとな」

全く予想もしていなかった3連発に言葉が出てこなかった。
何しろこの会社のドレスコードは緩めのオフィスカジュアル(Tシャツ+ジーンズOK)なのだ。お客様先への訪問や商談といった状況であればさておき、今はオフィスの一角にある会議室だ。シンプルな無地の黒スーツを着ているのに服装について言われるなんて。

確かに上司は仕立ての良さそうなダークネイビーのスーツを着ている。
「俺のは20万だ」
心底どうでもよい。

「へへ・・・はい」
と苦笑いするのが精一杯だった。

さらに驚いたことに
「マスクなんでつけてるの?」「この後の会議では外しておくように」
と言われた。
毎年頭が痛くて熱が出るほど重度の花粉症であり、感染症防止への意識が高い私は当然ながら毎日マスクを付けて過ごしていた。

確かに最近は新型コロナウイルスによる混乱も落ち着き、一時期と比べるとマスクを付けずに過ごしている方が多くなっていたがまさか外すことを命じられるなんて。

その後もことあるごとに理解しがたい基準のご指導で私の個性が削り取られるように感じる日々が続いた。さらに毎日深夜24時頃までメールは飛び交うし、土日でもお構いなし。
ずっと息苦しい。ずっと会社のことを考えている。
何をしていても楽しくない。部屋も荒れている。
食欲も性欲もなくなる。睡眠欲は最後まで残っていたが、よく分からない不安感で夜遅くまで寝られない日々が続いた。

さすがに精神的に不調が出てきた。
メンタルクリニックにも通い薬を処方してもらうが、改善の見込みはない。
そりゃそうだ。根本のストレス要因が除けていないのだ。
まだ頑張れるかもしれないが、このままではどこかで限界が来てしまう。
1か月後か、1年後か、10年後かは分からないが。
そう感じた。

そんなこんなで冒頭のオフィスに向かうシーンだ。

この日は前々から準備していた製品の販売店向け勉強会を初めて担当することになっており、それだけはやらねばと考えていた。自分なりの小さなプライドだ。
準備した通りに製品紹介をし、質問にも概ね問題なく対応できた。
我ながら初めてにしては頑張ったのではなかろうか。
誰かが私にアドバイスをしているようだがどうだっていい。
頭がぼーっとして何も考えられない。

これで終わり。
頭と身体がショートして、急激にエネルギーが失われていくのが分かる。
ただただ、悲しくもないのに涙が浮かんでくる。
今まで気を張っていて気づかなかったが、明らかに普通の状態ではなかった。

とにかくなにもできずに休んだ

次の日は布団から起き上がることができなかった。
とりあえず会社に休みの連絡を入れた。
気づけばほぼ一カ月丸々何もせず、時間が経っていた。
時間も曜日も感覚がないが、起きたらご飯を食べる、寝る。元気があればたまにYouYubeを見る。(内容はほとんど頭に入ってこない)
ただ、少しずつ自分の身体の感覚と生活しているという実感が湧いてきた。

出会った1本の動画

ふとYouTubeのおすすめに出てきた1本の動画が目に止まった。
「1週間普通列車だけで日本縦断の旅」というタイトルだった。
旅行系YouTuberの西園寺さんが日本最北端の鉄道終着駅である稚内駅から最南端の鉄道終着駅である枕崎駅を目指す、それも普通列車だけという縛りを設けたチャレンジ企画だった。
彼の動画に衝撃を受けた私。最終日のゴールまで休むことなく見続けた。
久しぶりに笑った。面白い、楽しいと思った。

稚内駅にある案内板
(最南端の駅は写真のように西大山駅だが、この駅は途中駅であるためあくまで動画内では最南端の終着駅である枕崎駅を目指していた)

稚内駅に降り立つ

稚内・利尻・礼文観光WEBサイトより

そこからはよく覚えていない。
とにかく会社を辞めたことと、借りていた賃貸マンションの契約を解除したこと、羽田空港から飛行機を乗り継いだこと。

そして今はここ
JR稚内駅にいる。

YouTubeの動画に影響を受けすぎだろう!
と自分でも思う。
ただあの人と同じように北から南の終着駅まで旅してみたくなったのだ。
決して逃げた訳ではない、、と思いたい。

せっかくこれまでの生活を捨てて旅をするのだ。同じように普通列車で進むだけでは面白みがない。
私の旅のルールを作った。

<稚内→枕崎 旅のルール>

  1. 通る路線にある全ての駅で下車すること

  2. 駅から徒歩10分以内にある観光スポットを見つけること

  3. 一日の予算は5000円(宿泊費を除く)

ルールが決まれば、まずは稚内駅周辺の散策だ。
「駅から徒歩10分以内にある観光スポット」を見つけなければならない。

私は唯一の荷物である黒のバックパックを背負って、駅構内のベンチから立ち上がり正面口からロータリーへと歩き始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?