【読書】エヤル・ヴィンター「愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める」
「愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める」という本を読んだ。行動経済学について真新しい知見が記されているわけではなかったが、一部面白い知見もあり読んで悪くはなかった。
気になったのは原因帰属についての話である。例えば最近いわゆる女性活躍というムーブメントがあるが、このムーブメントがあるが故に女性は自分の昇進の理由が自身の実力によるものなのか、このムーブメントによるものであるのか不安に覚えることもあるという。男性が履いた下駄を脱がせるという意味で捉える者はやっと自身の実力が評価されて昇進できる世界になったと感じるだろうし、女性に下駄を履かせるという意味で捉える者は不当に高く評価されていると感じるだろう。ここでの問題は昇進した女性自身がどう感じるかという問題に加えて、周囲の人がその昇進をどのように解釈するかという点も加わってくるということである。つまり、自分では実力によって昇進できたと感じていたとしても、「周囲からは下駄を履いていると思われているんだろうな」と感じていれば、その昇進は居心地の悪いものになるだろう。但し、取締役クラスの女性の割合が5割ぐらいになってきたら女性の昇進も自然のものとして受け入れられ、こうした問題も影を潜めるのではないかと考えている。早くそういう時期が訪れてほしいものだ。
同様の原因帰属は民族間でも生じるらしい。例えば、吉本興業ではコンテストの賞金を後輩におごるという暗黙の文化がある一方、松竹芸能では賞金はとった人のものという暗黙の文化があったとする。この文化は暗黙なので、他の事務所の文化が自分の文化のものと違っていたとする。このとき、吉本興業の芸人が優勝してそのお金で松竹芸能の後輩芸人にご飯を奢ったとしたら、その松竹の芸人は予期せぬ出来事に喜ぶだろう。これはハッピーなシナリオであるが、悪いシナリオも存在する。それは松竹芸能の芸人が優勝し、吉本興業の後輩芸人との飲み会で完全に割り勘となった場合である。それは松竹芸能の人にとっては普通のことであるが、吉本興業の後輩からしたら、松竹芸能の人は感じが悪いとか松竹芸能の人は吉本興業の人に対して悪い印象を持っているに違いないとか推測することになる。松竹芸能の人も吉本興業の人もそれぞれ自然な行動・解釈をしているのにもかかわらず、暗黙の文化の違いによって集団間にいざこざが生じる。本書では民族間で同様のいざこざが生じることについて考察されていたが、真新しい話で面白かった。