【童話】あめふらしのなみだ(5523字)
「もう、このへんでええじゃろ」
あめふらしのおじいさんがそういうと、それまでシトシトと降っていた雨がだんだん小雨になり、やがて止みました。
「もっとジャンジャカ降らせばいいのよ。こんなんできのこ、生えてくる?」
小さな孫娘のウーアは、水たまりにピシャンと飛び込むと、長靴で水を蹴り上げました。
「あんまり降らせすぎてもいけない。この森には、このくらいがちょうどいいんじゃ」
「わたし、前の森の方がよかったな」
ウーアは、すねたようにいいました。二人は今まで別の森にいたのです。
「あの森にはベルたけがもう生えない。わしらあめふらしは、ベルたけのないところでは生きていけないのじゃ」
おじいさんは少し悲しそうにいいました。
「ねえ、シチューにするでしょ?赤いのいっぱい入れるの」
「ああ、そうじゃの。けど、青も紫も緑も黄も、みんな入れるからおいしいんじゃぞ」
ウーアは、ぷーっとほっぺを膨らませました。
「まあ、また明日じゃ。朝になったら、きのこも生えとるじゃろ」
風がビュウウと吹きました。リーン、リーン、リリリリリーン。たくさんのベルを鳴らすような音が、森を震わせました。
「ほれ、きのこが、もう雨は十分じゃというとる。今夜はひとつ、あそこに落ちとる緑のベルたけの中で寝るとしよう」
二人は、大きなベルの形をしたきのこをめくって、中に入りました。
「このベルたけ、なんで落ちちゃったの?」
ウーアが聞きました。
「さあ、わからんが、そのおかげでわしらはぐっすり眠ることができる」
二人がいるのは、ベルたけという、きのこのかさの中です。これは、あめふらしの住む森に生えるきのこで、ひゅうっと伸びた茎の先に、ベルみたいなかさをつけます。
若いうちは、かさが柔らかく、煮たり焼いたりして食べます。大きくなると、かさが固くなって、風にそよぐと、リーンリーンと、ベルのような音を鳴らします。
次の日の朝、天にはお日さまが輝いていました。水たまりはもうすっかり小さくなりましたが、まだ地面は湿っています。
「このくらいの湿り気が、ベルたけにはちょうどいいんじゃ。わしらにもな」
と、おじいさんはいいました。
ウーアが落ち葉をめくってみると、そこには小さなベルたけが固まって生えていました。
赤、橙、黄、緑、水色、青、紫。ベルたけには、七つの色があります。どの色も、それぞれの音を持っています。
「摘む前に、音を鳴らしてごらん」
おじいさんがいいました。
「こんなに小さいのでも、鳴るの?」
と、ウーアがいいました。
「指で弾いてみなさい。小さくたって、立派なベルたけじゃぞ」
ウーアは、おじいさんにいわれたようにしました。
「ほんとだ。ドの音がする。こっちはレの音だわ」
耳を近づけてみると、かすかではありますが、ドレミファソラシの七つの音が聞こえました。
森のドレミの歌を歌いながら、ウーアはベルたけを摘んでいきます。
「ド、ド、ド。ドは大地。はぐくみの音。レ、レ、レ。レはお母さん。優しく包みこむ大きな木。ミ、ミ、ミ。ミは世話好きお姉さん。花粉を運ぶ虫たち。ファ、ファ、ファ。ファはおすましお嬢さん。花とチョウ。ソ、ソ、ソ。ソは旅人ね。風の音。ラ、ラ、ラ。ラは動物たち。子ザルが駆け回る。シ、シ、シ。シは鳥のさえずり。朝を告げる音」
ウーアの手は、瞬く間に色とりどりのベルたけでいっぱいになりました。
「あとは残しておきなさい。わしらが食べる分はもうとったじゃろ」
おじいさんがいいました。
「もっと雨を降らせばいいんだわ」
ウーアは口を尖らせました。小さいウーアは、まだ自分で雨を降らせることができません。
「雨だけできのこが生えるわけではない」
おじいさんはいいました。
「さあ、もう十分じゃ。シチューを作って食べようじゃないか」
二人は、手ごろな大きさの、固いベルたけを鍋にして、とったばかりの七色のきのこを煮込んでシチューにしました。
「おいしい」
「おいしいじゃろ。七つの色があるからおいしいんじゃよ」
「お腹の中でベルが鳴らない?」
「さあて、な。嫌かい?」
「踊り出しちゃうわよ」
ウーアはシチューを食べ終わると、長靴でクルクルと回りました。ステップを踏むたび、リン、リン、リンと、ベルの音が聞こえてくるようでした。
そんなある日のこと、ウーアは、森で変わったベルたけを見つけました。
「おじいちゃん、これなあに?」
それは、黒いかさを持ったベルたけでした。
「おかしいのよ。音がぜんぜん鳴らないの」
おじいさんは、難しい顔をしました。
「乾いてしまったベルたけじゃ。この森にも乾きが訪れているようじゃの」
「わたしたち、ここに住めなくなるの?」
いったん森が乾いてしまうと、もうそこにはあめふらしは住めません。雨を降らそうにも、降らせなくなってしまいます。あめふらしが雨を降らすためには、森の助けが必要なのです。
「少しぐらいなら平気じゃよ。この森にはまだベルたけが生える」
「雨をもっと降らせたら?」
「あまり雨が多すぎても、土の中のきのこの根っこがくさってしまう。あめふらしがベルたけを生やしているのではないんじゃ。ちゃんと地面の下に根っこがあって、それで生えてくる。わしらのやることは、少し湿り気を与えてやることだけなんじゃよ」
「根っこはどこにあるの?」
「森中にある。生きている森なら」
ところが、だんだんと黒いベルたけが目につくようになってきました。ウーアが落ち葉をめくって若いベルたけを探してみても、黒いものが多くなりました。
「おじいちゃん」
ウーアがいいました。
「食べるものがないよ」
「困ったのう」
おじいさんは、長いあごひげをさすりながら、天を見上げました。ここ数日間、おじいさんが雨を呼んでも、パラパラとしか降ってくれません。
足元の土も、黒くて湿ったものから、白くて乾いたものに変わってきました。
「こんなに速く乾くなんて、かつてなかったことじゃ」
それはある夜のことでした。いつものようにベルたけの中で寝ていると、おじいさんは、ふと胸騒ぎがして目を覚ましました。
どうも空気が熱いのです。かさをめくって外を見ると、空が真っ赤になっていました。
ゴオオ、と強い風が吹いて、カンカンカンと、乾いたベルの音がしました。
「こりゃいかん」
おじいさんは、大慌てでウーアを起こしました。
「どうしたの?」
「大変じゃ。山火事が起きとる」
二人は急いで逃げました。パチパチと木がはぜる音がうるさく鳴っています。ここ最近の乾きのせいで、火の手が回るのが早いようです。
無理矢理眠りを覚まされた鳥たちが、バサバサと耳が痛くなるような大きな音を立てて飛んでいきます。
キイキイと金切り声を上げながら、サルやイタチが走っていきました。
「わしらも早く、泉のほうへいこう」
ところが、泉のあるところまできて、おじいさんは愕然としました。いつのまにか、泉の大きさが、とてもとても小さくなっていたのです。
今では、大きなくぼみの真ん中に、小さな水たまりがあるだけでした。
この熱さでは、すぐに干上がってしまうでしょう。
「しまった。ここまで乾いておったとは」
「おじいちゃん、わたしたちどうなるの?」
ウーアは、怯えた目でおじいさんを見上げました。
おじいさんは、無理に笑っていいました。
「大丈夫じゃ。山だって、いつまでも燃えているわけではない」
ですが、それはいつになるのでしょうか?このまま何日も燃え続ければ、火が消える前に、あめふらしの体は乾ききって、干からびて死んでしまうでしょう。
そこには、逃げてきた動物たちがたくさんいました。サルとキツネが抱き合って震えていました。シカが怪我をしたイノシシの傷口を舐めてやっています。クマは、翼の折れたキツツキをくわえてきてあげていました。
いつもは一緒にいることのない生き物たちが、寄りそって怯えています。
「おじいちゃん、このタヌキ、ひどい火傷してる。こっちのリスも、みんな、みんな」
動物たちはみんな傷ついていました。すがるようにおじいさんを見つめます。少しでいいから、雨がほしいところです。
しかし山火事となると、火の力が強すぎて、おじいさんでもどうにもならないのでした。
風がゴウゴウ唸って、火の手を運んできます。このままでは、ここが火に飲まれるのは時間の問題です。
おじいさんは、じっと水たまりを見つめると、やがてなにかを決心したように頷きました。ウーアの頭にそっと手を乗せると、こういいました。
「よいか。決してわしのそばを離れるでないぞ。動物たちも一緒じゃ」
「おじいちゃん、なにするの」
「今から雨を呼ぶ」
おじいさんは、ゆっくり水たまりの中に入っていきました。これから雨ごいをはじめようというのでしょうか?
けれども、空は真っ赤です。雨を降らせるような雲は、どこにも見当たりません。
「天にはなくとも、土の下には、まだ水があるはず。山火事は消せぬが、このまわりだけなら火の勢いを止めることができるじゃろう」
水たまりの中央に着いても、水はおじいさんの足首までしかありません。おじいさんは、全身の力を振り絞って、雨を呼びました。
雨は、おじいさんの呼びかけに答えて集まりはじめました。
空にはなんの変化もありません。代わりに、おじいさんの足元の水たまりが、徐々に深く、大きくなっていきました。
おじいさんの額に脂汗が浮かびます。おじいさんは、むうう、と唸って、さらにありったけの力を込めました。
水たまりの外で見守っていたウーアや動物たちの足元が、湿り気を帯びてきました。
おじいさんの足がよろけて、膝をつきます。
「おじいちゃん!」
「大丈夫じゃ」
おじいさんは立ち上がりなおすと、両手を天に突き上げました。
「さあ、雨よ降れ!」
おじいさんがそう叫びました。すると、ポツポツと小さな雨粒が、天へと昇りはじめたのです。
空には雨雲は一つもありません。この雨は、土の中から降っています。
やがて雨はザーザーと強いものになり、バケツをひっくり返したような土砂降りになりました。
そこに火が襲ってきました。
バシャンと雨とぶつかり、辺りはわっと濃い霧に包まれました。
「おじいちゃん!」
霧の中、ウーアは真っ白でなにも見えなくなりました。
おじいさんも動物たちも、なにもかも白い彼方にいってしまったようでした。
立ち昇る雨の音を聞きながら、ウーアはまるで自分の体が霧と同化するように、溶けて消えていくのを感じました。
「ウーアよ、強く生きるんじゃぞ!」
遠のいていく意識の中、ウーアは最後におじいさんの声を聞いたような気がしました。
そのまま、どれだけの時間が経ったのでしょう。ウーアは、ひどい喉の渇きを感じて、目を覚ましました。
まわりは乾いた、白い土ばかりです。草も花も、木も鳥も動物も、なにも見えません。
山火事はおさまっていましたが、森はすっかり焼けていました。一緒にいた動物たちは、みんなどこにいってしまったのでしょう。
ウーアは、きっと自分は干からびてしまったのだと思いました。でも手足がキシキシと痛むのを感じました。よっぽど乾いてしまっていて、動くのが大変でしたが、まだ生きています。
おじいさんは、と、ウーアは必死に水たまりのあったくぼみへと這っていきました。
でもそこには、一滴の水も残っていませんでした。
ああ、と思いました。おじいさんは死んでしまったのだ。地面から雨を降らせてウーアを守ってくれたのと引きかえに、死んでしまったのだ。
そう思ったら、ウーアは力が抜けて、倒れふしてしまいました。このまま自分も、乾いた土の一部となるのだ、そう思って目を閉じました。
ところがそのとき、カラカラに乾いてしまったはずのウーアの目から、一滴の涙がこぼれました。
涙は乾いた地面に落ちると、すぐに染み込んで消えていきました。
すると、ニョキニョキと、一本のきのこが生えてきたのです。
きのこはリーンと、ウーアの耳元で鳴りました。
はっとして目を開くと、目の前に小さな赤いベルたけがありました。
ベルたけだ。ベルたけがある!
ウーアの耳に、きのこの根っこは森中にある、といったおじいさんの言葉が蘇ってきました。強く生きろというその声も。
ウーアの目から、また一滴、また一滴と、とめどもなく涙がこぼれ落ちてきました。
一滴落ちるたび、ニョキニョキときのこが生え、リーン、リーンとベルが鳴りました。
ポツポツと、雨が降り出しました。やがてザーザー降りになり、ウーアの体と地面を濡らしました。ウーアがはじめて降らせた雨でした。
雨は降り続け、土の中の乾いたきのこの根っこに、十分いきわたるだけの恵みを与えました。
そして長い年月がたちました。
最初に戻ってきたのは、コケでした。やがて草が生え、地面が緑で覆われました。次に何年もかかって、低い木が繁りました。
さらに何十年かすると、ようやく背の高い木が増えていきました。
リーン、リーン。
今じゃ、かつてあった山火事が嘘のように、黒々とした森が広がっています。
風がそよそよと、森を抜けていきます。耳をすませば、ほら、ベルの音。
ド、ド、ド。ドは大地。はぐくみの音。レ、レ、レ。レはお母さん。優しく包みこむ大きな木。ミ、ミ、ミ。ミは世話好きお姉さん。花粉を運ぶ虫たち。ファ、ファ、ファ。ファはおすましお嬢さん。花とチョウ。ソ、ソ、ソ。ソは旅人ね。風の音。ラ、ラ、ラ。ラは動物たち。子ザルが駆け回る。シ、シ、シ。シは鳥のさえずり。朝を告げる音。
こんな歌が聞こえてくる森には、ベルたけが生えていて、あめふらしが住んでいるのです。