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心得



【我が身をつねって人の痛さを知れ】


noteに描いた私のこれまでのストーリーは一部に過ぎませんが。

常識外れな人生を経験し
幼き頃からきっと周りには
【可哀想な子】として同情をされ私を知ると言うよりは育っている環境に不憫に思い情けをかけてくるその場限りの優しさを沢山もらいました。


小さい頃から
どこか冷めて物事を考える性格で
それはきっと幼いながらに経験した傷からです。

普通じゃ考えられないかもしれませんが
父の仕事上、私は危険な目に遭わされる事も多かったのだと思います。
全てを思い出せないけど父と一緒にいる生活を避け、血縁関係も全く関係もなく知らない家に預けられ名前もその間は変えて生活をしました。

居心地の良かった場所もあれば地獄みたいだった場所。とにかく父が迎えにくるのを耐えて待つしかなかった。

偽りの家族。
そんな事を何度も繰り返し大きくなりました。

幼き頃、一番幸せだったのは
父と二人で暮らしていた時だったような気がします。
父はきっと母という存在を私に与えたかったとも思うし勿論、男としての幸せも欲しかっただろうし再婚する事で自分が子育てから解放もされるとも思っていたとも思いますがそんな父を嫌いにはなりません。
二人でいた時の父は私に全力で愛を注いでくれたから。
だからきっと他界した今も父の事を想うと優しさで溢れてくるんだと思います。


偽りの家族の中で
私は父の知り合いというおじいちゃんとおばあちゃんの家族にお世話になりました。
そこのご家族は娘さんか息子さんがいたはずで
まだお子さんに恵まれず、
父について回っていた私をとても可愛がってくれました。

父がしてる事は最低だと思う方もいるとは思うし
私も一時期思った事はありましたが
きっと父は愛に生きる人間だった
それだけだったんだと思います。

私に向かってここの子供になれと言い、
預けてしまうような👨でしたが父なりに仕事関係上、一緒にいるべきじゃない時や自由が欲しかったりそして自分がお世話になってる人への恩返しだったのだと思います。


そこのご家族の家族になって
夏休みだったり期間限定みたいな感じだったかなーと思いつつ私は祖父母の家に遊びにいっている感覚でした。

私はいつの頃からか
当たり前になりましたが
そこのご家族に良い知らせでお孫さんが誕生しました。


私はその時からもうここには来ないと決めたのです。

一つの役目を。
私は私なりに孫という役目を終わらせました。


ずっと会えていないけど。

元気でいるだろうか。

私を家族にしてくれてありがとうと。
感謝しています。

偽家族として幾度か経験しましたが
幸せな時間。
地獄だった時間。
思い出せないような嫌な出来事。

それでもこれが私の人生なんだと耐えました。
歯を食いしばりただその時間が過ぎるのを待った。

だからなのか
耐える強さは身につきました。
逆境にも立ち向かってやろうとも。

その分、ココロを許した人にはわがままにもなるし甘えん坊にもなる自分の甘さ。

1人になる怖さ
大人の都合に振り回されながらも
楽しい時間も幸せな時間もあった。

きっとこれがインナーチャイルドの癒しなんだとも思うけどそう簡単な事でもない。

ただずっと思ってる。


自分のしてきた経験こそ宝だと。

我が身をつねって人の痛みを知れ



傷ついてきた事を無かった事などにせず
その痛みすら自分の糧にし、成長させる。
人の痛みを知るには自分の傷を感じる事。
痛みは受け止めたくない。
だから気付かないふり、
知らないふり、なかったことにして。
それではきっと人に寄り添う事などできやしない。

苦しいときは逃げてもいい。忘れてもいい。

それでもその経験を無かったことになどせずに
いつか受け止めて糧に。


会いたい人には会わなくちゃ。
大切な人は大切にしよう。

当たり前など存在しないのだから。


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