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前回の投稿で私はこの内容を書いた。
娘が生まれてから私はずっと撮る側に回っていたのだと。
あまりの少なさに自分でもびっくりした‼️
『え?まじで?少なくない?』
一番多いのは勿論、娘1人やお友達など。
そして次に多いのは娘と元旦那の親子写真。
そして私も含んだ3人の家族写真。
一番少ないのは私と娘のツーショット。
今思えば。
私は進んで写真を撮った。
娘が振り返った時、【こんなに愛されていた】んだと実感できるように。
その証拠が残せるように。
娘が生まれる時も色々揉めていて
離婚するか決断するところだった。
出産してすぐのころ。
妊娠した時も自分の子供か疑っていた。
生まれて自分そっくりの娘が生まれても尚、それでも疑っていた。
寄り添ってくれていながらも
ずっと壁があった。
生まれたらどうなるのか私は旦那の態度を見極めるつもりだった。
出産もうまく力めず、娘もお腹の中で弱まっていく。私の血圧は下がり、青ざめていくのがわかった。力がはいらない。
そのあと、バタバタし始めて、
吸引分娩で何とか引っ張り生まれてきた我が子。
産声も聞こえない。
私も何だかわからない状態だった。
出血も多量で、貧血も起こしていた。
産後も色々な状態から、
旦那も喜んでいながらおかしい。
出生届けも出さなきゃいけないし、
正直しんどいけど切り出した。
やっぱり【俺の子供かわからない】だった。
あー娘の未来は私よりも可哀想な人生にしてしまうのだろうか。
身体も戻ってない中、
精神的にもしんどい。
それでも隣には生後一日過ぎた我が子が
お腹を空かせ泣いている。
シングルマザーになる覚悟。
娘を父親がいない子供にするのか。
認知だけはしてもらうのか。
入院生活はそんな記憶しかない。
その事も元旦那は俺はそんなの知らない。
娘がうまれて俺はすごい嬉しかったとつらーとして言う。
証拠を出せなんて言ってもいたな。
そんな時、ずっと寄り添って、
娘の父親になると名乗り出てくれたのが
ここではいつも出す
幼馴染でツインレイと呼ばれる彼と彼の家族だった。
旦那が父親になると覚悟をきめた。
【これもおかしな話ですがね。】
娘のために家族をやると決めた。
それは娘に実の父親との時間を私があげたいと思ったからだ。
だからなのだろうか。
私は自分と娘の写真よりも。
娘と元旦那のツーショットを撮る側に回った。
いつか来る別れをどこかでわかっていたからなのだろうか。
少なからず家族をやると選択した私は
娘が二十歳になるまでは離婚はしないと決めてもいたのだ。
私も自分の父とは生まれてすぐ父と母は離婚。
運命のいたずらなのか離婚しても父は私の知らないおじさんとなって現れ、そしてまた違う場所で父として再会をして
そこからは父は父になるために頑張っていた。
私には父の写真など残っていなかったし。
そんなのもあってか娘に残そう、元旦那に残そう。私ができるのはそれだけ。
そう思って暮らしていたのかもしれない。
父が亡くなった時、私と父のツーショット写真や私の赤ちゃんの頃の写真が出てきた。
肌身離さずもっていたのもある。
それを知ったのは亡くなってから知ったけど。
愛されていたんだと実感したんだ。
言葉や態度でも沢山の愛情をくれた父だけど
娘の父親はそれができない。
せめて写真で残してあげたかった。
そんな沢山の写真を目の前にして
元旦那はどんな気持ちだったのだろうか。