「ここに全部ある」って思い出すための旅
東京2泊3日の旅から帰ってきました。
昨年11月に自分の殻を打ち破ってヨガ教室を訪ね、2回目は今年の5月。そして今回は3回目。教室のある荻窪のホテルを拠点に、駅とカフェとヨガ教室を行ったり来たり。そんなゆるやかな時間。
思えばここ数年、私は日常を離れて思考整理の時間を持つということを、とても大切にしています。移動中も、カフェでも、ホテルでも、とにかくノートに思いついたことを書きまくっています。
せっかく東京にいるのだから、もっといろいろ出かければいいのにと思われるかもしれませんね。
私にとっては、何の役目もない自分に戻ること、空っぽの自分になることが何よりも必要なので、とても満足しています。
そんな今回の旅で見つけたもの。
それは、今後自分自身が目指すヨーガの形であり、さらには、もうここに全てあるんだなという安心感のようなもの。
少し長くなりましたが、この時の気持ちを残しておきたいなと思い書いてみました。
私は「優しいヨーガ」に取り組みたいと思っている。でも、「優しいヨーガ」ってなんだろう。
動きが単純明快なもの
体に負荷がかからないもの
初心者にも真似しやすいもの
改めて考えてみると、私のヨーガはただ身体的に「易しい」だけなのかもしれない。
今回の対面レッスンで受けた、S先生のヨーガは私が求める「優しさ」に溢れていた。
(うっかり途中で泣きそうになった)
あらゆる動作において、無駄な力を入れず、ただ自分の身体に触れたり、撫でるだけで十分にほぐれていく。クラスの誰をも置き去りにしないから、個であるのに一体感に包まれていて安心できる。
姿勢を保つためにお腹に少し力は入れるけれども、それにより背骨が伸び、呼吸がスムーズに通り始める。とても自然で気持ちがいい。
まるで私のあぐらの真ん中で眠っている赤ちゃんがいて、その子を起こさないように、優しくそーっと自分の体をほぐしたり、丁寧な動きで静かにアーサナ(ポーズ)をしているようにも感じた。
そして、その赤ちゃんはきっと私の心の中にもいるのだろう。神様であり、ブラフマンであり、大いなるもの。
「目には見えないけれどそこにある(いる)」と感じる存在。
いつもいつもこの存在を胸の中に感じながらヨーガをしよう。それが私の目指す「優しいヨーガ」だ。私はその存在を思って身体をゆっくり動かすだけでいい。
大切な存在を安定した姿勢で保つためには、筋力も欠かせない。日々の鍛錬はもちろん必要だ。今の私のカチカチの背中ではじっと静かに座っていることもまだまだ難しいからしっかりほぐそう。新鮮な空気を胸の中にお届けしたいから、呼吸法もやろう。
何よりも、揺るがない心があると神様も安心だろうから、あらゆる日々の行いもエゴにとらわれず、他人と比較せず、自分の良心を裏切らないものにしていきたい。
そうやってコツコツと続けていけばいい。
心の中の大切な存在のために。
荻窪の教室へ行くたびに、「もうここに全部あるんだよなあ」と心から思います。
何の不足もなくて、満ち足りていて、私はこのままで十分だと思えるし、もう何の心配もいらないんだよと、いつも教えてくれる場所。
それをただ感じたくて、時々行きたくなってしまうのでしょう。
レッスン後、私はもうしっかり満たされていて、これから岡山まで帰る道のりも、明日からの仕事のことも何も心配はありませんでした。
物理的に日常を離れること
一人の時間を作ること
みなさんはそんな時間とれていますか?
「いや、でも、、、」って出てきたら、その言葉全部紙に書いてみてほしいのです。それを飲み込まずに、言葉にした瞬間から、きっと何かが動き出すと私は信じています。
そのあたりについては、またいつか書いてみたいなあと思っています。